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テレビドラマの中にあった、つか演劇の「本質」

『つかこうへいのかけおち'83』⑥

長谷川康夫 演出家・脚本家

「つかこうへい芝居」を今に伝える映像

 さて、1983年のNHKドラマ『かけおち'83』について、あれこれ書き連ねて来たが、僕の評価が高すぎることに鼻白む人は多いに違いない。(前回はこちら

 つかこうへいの映像化された作品の中、観るべきものはこれに尽きる、とまで言い切るのだから、他の作品に携わった方々なら、なおさらだろう。

つかこうへい=1986年撮影
 それでも僕がこの『かけおち'83』にこだわるのは、1970年代から80年代の初めにかけて、ひとつの〝伝説〟となるブームを巻き起こし、演劇界を席巻した「つかこうへい芝居」とはいかなるものだったかを、かろうじて映像作品として今に伝えてくれるのが、この作品であるとの思いが、ここに来て、いっそう強くなっているからだ。

 本連載で『かけおち'83』に触れた第1回に、春風亭昇太氏がこのドラマを紹介した2016年の番組によって、三十数年ぶりにその一部を観ることが出来たと書いた。

 だが実は今、僕の手元には『かけおち'83』20分5話分の、完パケと呼ばれるオンエア用映像をダビングしたDVDがある。思いがけず手に入ったものだが、それに何度も目を通し、僕は一観客としても、また現在の仕事に身を置く人間としても、正直、その面白さに驚いた。そしてこの作品への、自分がどこか忘れてしまっていた評価に、今さらながら自信を持ったのだ。その上で、原稿に手をつけたわけである。

 自分がメインの役どころで出演していることが自慢で、それを知ってもらいたいだけだろうと思われるかもしれない。いや、40年近く経っているのだ。そんな気持ちはさらさらない。あくまでも客観的な評価だと信じて、書き進めることにする。

つか作品の本質は「狭さ」にあり

 つかこうへいの芝居というのはほぼどれも、自らが「四畳半芝居」と照れてみせたように、基本、狭い状況設定の中での、一対一のやりとりが中心となる。

『いつも心に太陽を』の平田満(手前)と風間杜夫=1979年、©斎藤一男
 『初級革命講座飛龍伝』、『ストリッパー物語』(=『ヒモの話』)、『いつも心に太陽を』、『蒲田行進曲』、『寝盗られ宗介』と、主な作品を並べてみても、すべてが、アパートの一室や小さな劇場の楽屋といった閉ざされた空間での、登場人物たちの二人芝居がドラマの核なのだ。そこから長い一人台詞が始まることも多い。

 そしていくつかのそんな芝居の、繋ぎともいうべきシーンとして、「劇場の舞台」だったり、「国体のプール」だったり、「撮影所」だったりが挟まり、中休み的な〝演劇的高揚〟を生むというのがパターンである。

 『初級革命講座飛龍伝』に至ってはそれもなく、3人の登場人物による、三様の二人芝居と、それぞれの一人語りだけで芝居が進む。(つまりのちの『飛龍伝』とはまったく別の作品である)

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