三浦俊章(みうら・としあき) ジャーナリスト
元朝日新聞記者。ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長、編集委員などを歴任。2022年に退社
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
冷戦はなぜ生まれたか? 冷戦後の世界が平和と安定を達成できないのはなぜか?
歴史家にとって最も重要な資質とは、想像力である。遠い時代の人びとがなぜそのように考えたのか、彼らが今日の尺度では考えられない行動をしたのはなぜなのか。それを解き明かすのは、歴史家の想像力だ。ウェスタッドの『冷戦』を読んで強くそう思った。第1次世界大戦を例に挙げてみよう。
1914年夏に第1次世界大戦が勃発したとき、人びとは「戦争は数週間で終わる」と考えた。ヨーロッパはナポレオン戦争以来、100年にわたって大きな戦争を経験していなかった。人びとの脳裏にあったのは、遠くから大砲を撃ち合い、騎兵隊が突撃を繰り返す、古めかしい戦いである。そういう戦争ならばあっという間に決着が付くはずだ。だから「クリスマスまでには帰る」が各国の兵士の合言葉だった。
だが、戦場で彼らを待っていたのは機関銃、毒ガス、塹壕戦だった。戦争は4年以上続き、民間人も含めて空前の規模の犠牲者が出た。それまでの過去100年間の工業化、科学技術の発展、国民皆兵制度の導入が戦争の性格をまったく変えてしまうことに、人々は思いもよらなかったのである。
ウェスタッドは、この4年間の総力戦がヨーロッパの各国民に大きな心理的な影響を残したと考える。隣人を殺戮(さつりく)し、破壊し、憎悪するのが当たり前となった。19世紀の古き良き道徳や秩序は崩壊した。まるまる一世代のヨーロッパ人がそう考えるようになった。恐怖が時代を支配した。
ヒトラーの台頭も、スターリンの恐怖政治も、そうした時代精神を抜きには考えられない。後世の人間には専制と思われた政治も、恐怖の中で秩序と安定をまず求めた当時の人びとには、それしか選択肢がないと思われたのである。そして、スターリンやトルーマンなど第1次世界大戦期に人間形成を迎えた人びとが、のちに冷戦の指導者になっていく。「彼らは皆、第1次世界大戦がもたらした厄災のなかから生まれ出たのである」とウェスタッドは言う。
いっぽう、人びとの思想がポジティブに歴史を動かした例もある。
冷戦の終わり方は、その局面だけを見ていると劇的だった。ソ連の最後の指導者ゴルバチョフはソ連型社会主義の行き詰まりを察知し、大胆な情報公開や政治改革を行った。しかし、いったんタガが緩んだソ連社会は上からのコントールが効かなくなり、自壊する。
東ヨーロッパの改革は、ソ連の介入を恐れておそるおそる始まったが、ゴルバチョフに介入の意思がないと分かると、各国の社会主義体制はあっというまに崩壊した。かつてアメリカはベトナム戦争で、ベトナムが社会主義の手に落ちると、周辺国に「ドミノ倒し」が始まると警戒したが、実際に「ドミノ倒し」が起きたのは旧共産圏の東ヨーロッパだった。
だが、歴史の表層だけを見ていてはいけない。ウェスタッドは、ヨーロッパで冷戦が終わった背景として、1960年代から始まったデタント(緊張緩和)によって、東西両陣営の関係が緊密になり、双方が抱いていた恐怖が減少したことを指摘する。また、80年代に急速に進んだ情報革命にも注目する。東側の人びとはテレビの映像を通して、西側の人びとが実際にどのような暮らしをしているかを知るようになった。爆発的な情報の拡散は、人びとの優先順位を変えていき、それが冷戦を終わらせる大きな要因になったというのである。
ウェスタッド『冷戦』は、このように一般の人びとのものごとの受け止め方をていねいに掘り起こす。指導者のドラマだけではない、かといって政治経済の必然の流れでもない、生き生きとした現代史が立ち現れてくる。