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「東京五輪への看護師500人派遣要請に怒っています」

日本赤十字看護大学名誉教授の川嶋みどりさんに聞く

鈴木理香子 フリーライター

 新型コロナウイルスの第4波が押し寄せ、東京五輪の開催をめぐって議論が起こっているなか、新たな問題が露呈した。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が4月26日の会見で、オリンピック・パラリンピック期間中に500名もの看護師を派遣するよう日本看護協会に求めたことを明らかにしたのだ。これに憤りを覚えるのが、看護専門職有志が集まる「看護未来塾」の世話人の一人で、日本赤十字看護大学名誉教授の川嶋みどりさんだ。なぜ看護師の派遣に反対するのか、その理由を語っていただいた。

 「(派遣は)ありえない。助けてください」

 これは、大学病院に勤務する中堅看護師から私に送られてきたメールの冒頭部分です。届いたのは4月末で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、組織委員会)が日本看護協会に対して、看護師500人を確保するよう依頼したことが報道されたタイミングでした。

 この看護師は、第1波のときからICU(集中治療室)の新型コロナウイルス感染症患者を受け持っています。共にコロナと闘ってきた親友の看護師を失いながらも、患者のためにと賢明に看護を続けています。その彼女が今、怒りの気持ちでいっぱいなのです。ご本人の了承を得てメールの概要を一部紹介します。

 「(報道を知って)私たち看護師はカンカンに怒っています。病院はめちゃめちゃです。私たち看護師は心身共に限界です。私もこのままでは看護師をやめたくなりそうです。患者さんを大好きな気持ちだけでは耐えられなくなりました」

川嶋みどり

日本赤十字看護大学名誉教授

1931年生まれ。日本赤十字女子専門学校卒業。日本赤十字社中央病院看護師20年、その後、健和会臨床看護学研究所、日本赤十字看護大学学部長などを経て現職。2007年、顕著な功労のある看護師に与えられる「ナイチンゲール記章」を受章。著書に『看護の羅針盤 366の言葉』(ライフサポート社)、『看護の力』(岩波新書)など多数川嶋みどり・日本赤十字看護大学名誉教授 
 国内の日々の新規感染者数が7000人を超える日もあるなか、重症者数も第3波を超えて過去最高となり、関西では命の選別ともいえるトリアージ(緊急度に応じて搬送や治療の優先順位を決めること)が必要になるほど、医療は逼迫しています。

 この状況下での看護師500人の要請です。派遣時期は五輪・パラリンピック開催期間の7月中旬から9月初旬で、今すぐ派遣するものではありませんが、その頃にコロナが落ち着いているという確証はどこにもないのです。

一医療機関から1人、2人送るのも非現実的

ICU(集中治療室)で新型コロナウイルスの重症患者をケアする看護師=2021年3月17日、東京都文京区の東京医科歯科大病院、同院提供 ICU(集中治療室)で新型コロナウイルスの重症患者をケアする看護師=2021年3月17日、東京都文京区の東京医科歯科大病院、同院提供

 メールを送ってくれた看護師だけではありません。新型コロナのワクチン接種の副反応による倦怠感や筋肉痛があっても休めず、患者対応に追われる看護師、受け持ち患者のため自身の働く医療機関では受けられないPCR検査を自腹で、休日に受けに行っていると話す看護師、3カ月以上家に戻れずホテルで暮らし、食事はコンビニのおにぎりやパンだけという看護師──。

 そういう人たちの努力があるからこそ、この国はギリギリのところで踏ん張れているのです。菅義偉首相や組織委員会がこうした医療従事者のことを慮っているとは、到底思えません。

 報道によると、派遣日数は原則5日間以上で、交通費と宿泊費、飲食費は負担する(調整中)というもので、日当や報酬はないようです。つまりボランティアです。コロナで疲弊している看護師にこれ以上、無償で働かせるというのでしょうか。

 なかには、中規模以上の医療機関には200人、300人の看護師が勤務しているから、一人ぐらい派遣しても大丈夫だろうと思われる人もいるかもしれません。

 しかしながら、中規模以上の医療機関ではベッド数が100床以上あり、そこには24時間365日患者が入院されていますし、重症者が増えればそれだけ必要となる看護師の数も多くなります。コロナ禍の激務で退職者が増え、残った看護師が夜勤を増やして対応しているようななかで、たった1人、2人であっても人材を組織委員会のもとへ送るのは非現実的な話なのです。

潜在看護師は、コロナ感染者への対応にまわしてほしい

 そこで出てきたのが、現在、看護業務に従事していない潜在看護師の活用です。菅首相も、「現在休まれている方もたくさんいると聞いている。そうしたことは可能だ」と記者団に答えています。

 確かに、わが国には現在、潜在看護師が約71万人いるといわれています。しかし、その正確な実数は把握されていません。育児や介護のために一時的に離職している看護師もいますが、定年などで第一線を退いた高齢の看護師も少なくありません。

 何より潜在看護師が現場に戻るというのは、そんなに簡単なものではないのです。現役で働いていた頃と今とでは医療のレベルがまったく違うからです。

 例えば、五輪・パラリンピックで行われる競技はときとして激しい接触や、高いところからの転落などのため、救急対応が必要になります。夏の大会ですから、屋内外で観客を入れれば熱中症などが危惧され、その対応も不可欠です。小さなケガを消毒し、ばんそうこうを貼っておしまい、というレベルではないのです。さらにコロナ禍のもとでの開催ですから、PCR検査や体調管理のチェック、感染者が出たときも対応することになるでしょう。

 もし潜在看護師にその役割を担ってもらうのであれば、最新のスポーツ医学、救急医学に関する研修は必須です。感染リスクなどを考えれば500人まとまって研修することはあり得ませんから、1クールに数日を要するとすれば、講師となる医師や看護師を募ることさえ至難でしょう。

 私は2011年に起こった東日本大震災の際、潜在看護師の有志とともに被災地に出向いて被災者のケアをさせていただきました。現在、コロナ禍で活動は休止中ですが、10年間ほど続いています。

 この試みがうまくいったのは、

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