【9】「用心棒」の〝原型〟を読んでみた
2021年05月23日
今回、紹介するのはダシール・ハメットの長編小説『血の収穫』である。
ハメットの小説はいくつか映画化されている。ハンフリー・ボガード主演、ジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』もその一つで、この作品は映画史に残る傑作とされている。そのため、ダシール・ハメットの代表作というと『マルタの鷹』が上げられることが多いのだが、後世に与えた影響という点では、『マルタの鷹』よりも『血の収穫』の方がはるかに大きい。
『血の収穫』はハメットの長編第一作目である。この作品は現在まで映画化されていない。が、『血の収穫』から生まれた作品、『血の収穫』の系譜に連なる作品は、小説、映画、漫画などさまざまなジャンルに渡り、無数に存在する。
代表的なものをいくつか上げると、小説では、大藪春彦の『血の罠』(1959年)、筒井康隆の『おれの血は他人の血』(1974年)、船戸与一の『山猫の夏』(1984年)、朝松健の『赫い妖霊星』(1988年)、馳星周の『不夜城』(1996年)、大沢在昌の『罪深き海辺』(2009年)など。
映画では、黒澤明監督、三船敏郎主演の『用心棒』(1961年)、『用心棒』のリメイクであるクリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(1964年)、アメリカのアクション映画『ラストマン・スタンディング』(1996年)などがそれである。『用心棒』が『血の収穫』の影響を受けていることは黒澤監督も認めていることで、「ほんとうは断らなければいけないくらい使っているよね」(黒澤明・原田眞人『黒澤明語る』より)と語っている。
なぜ、これほど多くの作品が生まれたのか。『血の収穫』には作家の創作意欲を駆り立てる何かがあるわけだが、その何かの正体を解明するために、2019年5月に「新訳」(田口俊樹訳)として発行された創元推理文庫の『血の収穫』を読んでみた。
サミュエル・ダシール・ハメットは、ハードボイルド小説の始祖とも、アメリカ最高の探偵小説作家とも呼ばれているが、10代の頃のサミュエル少年を見て、将来、彼が大作家になると思ったものはいなかっただろう。そもそもこの少年は教育らしい教育をほとんど受けていなかったのだ。
ハメットが生まれたのは1894年。父親は地元の治安判事を務めていた男で、家庭はそれなりに裕福だった。が、ハメットが6歳の時、父親が政治的に失脚し、それまで住んでいた町にいられなくなる。ハメット家は経済的にも困窮し、サミュエル少年は新聞配達のバイトを始める。そして、14歳の時に父親が倒れると学校を中退し、そのまま社会に出る。
それからは鉄道のメッセンジャーを皮切りに、貨物係、荷役人足、機械工場の作業時間点検係、雑役夫、缶詰工場の工員、広告代理店の雑用係、製箱工場の釘打ち機械の運転係などの職を転々とし、1915年、大手探偵社であるピンカートン探偵社に就職する(ウィリアム・F・ノーラン『ダシール・ハメット伝』晶文社)。
日本では探偵の仕事というと、浮気調査、身上調査、家出人の捜索などが中心だが、アメリカの探偵の仕事は幅が広く、警察のように犯罪捜査もすれば、警備会社のようにカジノやボクシングの試合会場の警備もすれば、暴力団のように労働組合潰しもするし、軍の内部に潜むスパイの摘発もするし、クライアントから殺人を依頼されることもある。ようするに、危なくて汚い仕事ならなんでもやるのがアメリカの探偵で、ハメットは21歳にして、そういうハードな世界に足を踏み入れたのだ。
1918年6月、ハメットはピンカートン社を退職し、陸軍に志願する。第一次世界大戦の戦況を見て、居ても立っても居られなくなったのだ。ハメットはヨーロッパの戦場ではなく、アメリカ国内のキャンプに配属された。が、その頃、地球上に安全な場所はなく、キャンプはスペイン風邪に襲われ、ハメットも感染する。そして、この時からハメットは生涯、肺の病気に苦しむことになる。
1919年12月、入院中に除隊が許可され、ハメットはピンカートン社に復職する。しかし、ハメットの健康が回復することはなく、徐々にハードな探偵の仕事に耐えられなくなり、1922年2月、ピンカートン社を辞め、小説を書き始める。ハメットが作家を志したのは、その頃、流行していた探偵小説を読み、「この作家たちは探偵の仕事を空想で書いている。俺の方がリアルな探偵小説が書ける」と思ったからだという。
『血の収穫』は、アメリカのパルプ・マガジン(質のよくない安価な紙を使った大衆向けの雑誌)の一つ、『ブラック・マスク』に1927年11月号から1928年2月号にかけて4回に分けて掲載された。そして、1929年、ニューヨークのクノップ社より、ハメットの長編第一作として刊行された。
この作品の構造は複雑で、一つの大きな物語の中に四つの物語が組み込まれている。ハメットがそうしたのは、「4回に分けて掲載」することを考えたからだ。『血の収穫』は4回で一つの作品だが、毎回、独立した探偵小説としても楽しめるようにしたのである。
物語の舞台はアメリカ合衆国の北西部、カナダと国境を接するモンタナ州の山間地にあるパーソンヴィルである。パーソンヴィルは人口4万人ほどの鉱山町で、長い間、炭鉱会社の社長、エリヒュー・ウィルソンが町の政治と経済の実権を握っていた。が、この物語が始まる頃のパーソンヴィルは、ギャングが牛耳る悪徳の町で、「ポイズンヴィル」(毒の町)と呼ばれていた。
ギャングを町に招き入れたのは他でもない、エリヒュー・ウィルソンである。炭鉱夫たちの労働組合を潰すためにエリヒューが雇ったギャングたちが、そのまま町に居座ったのだ。
町の腐敗に憤ったエリヒューの息子ドナルド・ウィルソンは、コンティネンタル探偵社に汚職や犯罪の調査を依頼した。そして、コンティネンタル社はドナルドの要請に応え、身長は5フィート6インチ(約168cm)、体重は190ポンド(約86kg)の中年男をポイズンヴィルに派遣した。この小太りの中年男がこの物語の主人公「コンティネンタル・オプ(operative、調査員の意)」である。
オプは町に着くとすぐに依頼人であるドナルド・ウィルソンに連絡を入れ、面会の約束を取り付けた。が、ドナルドはオプと会う前に何者かに殺される。息子を殺されたエリヒューは、このままでは自分の身も危ないと思い、オプにギャングの一掃と町の浄化を依頼する。
これは危険な仕事である。相手はギャングだ。オプも命を狙われるだろう。が、オプはこの仕事を引き受けた。
オプはこう考えた。ポイズンヴィルを牛耳る悪党は、闇酒屋のピート、質屋のルウ・ヤード、博徒のマックス・ターラー(別名〝ウィスパー〟)、そして、警察署長のジョン・ヌーナンの4人。この4人は共存共栄を決め込み、今は同盟を組んでいるが、悪党同士のこと、信頼関係などあるわけがない。彼らの間に楔を打ち込み、互いの不信感を煽れば、殺し合いが始まるはずだ。そうなったら、その殺し合いを共倒れになるようにもっていけばいい。
オプはまず警察署長のヌーナンに「ドナルド殺しの犯人はマックス・ターラーのようだ」と吹き込み、署長がターラーを逮捕するように仕向ける。こうしてヌーナンとターラーの関係が悪化すると、この対立にピートやルウ・ヤードも巻き込んでいく。
こうしてポイズンヴィルではギャング同士の三つ巴、四つ巴の戦いが始まり、町は戦場と化す。オプは何度も銃撃戦に巻き込まれ、オプに協力した女性は命を落とす。が、オプは生き残り、ギャングは全滅し、町は平和を取り戻す。
先に『血の収穫』は一つの大きな物語の中に四つの物語が組み込まれていると言ったが、「大きな物語」とは「悪の支配する町に怖いもの知らずの男が現れ、悪と悪が殺し合うにように仕向け、全滅させて、町を救う」という物語である。そして、四つの物語とは、ポイズンヴィルで次々と起こる殺人事件や銀行襲撃事件をオプが解決していく探偵物語である。オプはこれらの事件の調査を進めつつ、これらの事件や騒動を利用して悪党どもの対立を煽り、全滅に追い込んでいったのだ。
『血の収穫』から生まれた数多くの作品の中で、最も有名なのは黒澤明監督、三船敏郎主演の『用心棒』である。
『血の収穫』が『用心棒』にどのような影響を与えたのか、『用心棒』のストーリーを見てみよう。
『用心棒』の舞台は江戸時代末期の宿場
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