メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

二人の「神様」が生みだした英雄神話

【9】「用心棒」の〝原型〟を読んでみた

中川文人 作家

黒澤映画「用心棒」を生んだ小説

 今回、紹介するのはダシール・ハメットの長編小説『血の収穫』である。

 ハメットの小説はいくつか映画化されている。ハンフリー・ボガード主演、ジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』もその一つで、この作品は映画史に残る傑作とされている。そのため、ダシール・ハメットの代表作というと『マルタの鷹』が上げられることが多いのだが、後世に与えた影響という点では、『マルタの鷹』よりも『血の収穫』の方がはるかに大きい。

 『血の収穫』はハメットの長編第一作目である。この作品は現在まで映画化されていない。が、『血の収穫』から生まれた作品、『血の収穫』の系譜に連なる作品は、小説、映画、漫画などさまざまなジャンルに渡り、無数に存在する。

 代表的なものをいくつか上げると、小説では、大藪春彦の『血の罠』(1959年)、筒井康隆の『おれの血は他人の血』(1974年)、船戸与一の『山猫の夏』(1984年)、朝松健の『赫い妖霊星』(1988年)、馳星周の『不夜城』(1996年)、大沢在昌の『罪深き海辺』(2009年)など。

 映画では、黒澤明監督、三船敏郎主演の『用心棒』(1961年)、『用心棒』のリメイクであるクリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(1964年)、アメリカのアクション映画『ラストマン・スタンディング』(1996年)などがそれである。『用心棒』が『血の収穫』の影響を受けていることは黒澤監督も認めていることで、「ほんとうは断らなければいけないくらい使っているよね」(黒澤明・原田眞人『黒澤明語る』より)と語っている。

 なぜ、これほど多くの作品が生まれたのか。『血の収穫』には作家の創作意欲を駆り立てる何かがあるわけだが、その何かの正体を解明するために、2019年5月に「新訳」(田口俊樹訳)として発行された創元推理文庫の『血の収穫』を読んでみた。

拡大イラスト・斉田直世

元探偵の探偵小説作家

 サミュエル・ダシール・ハメットは、ハードボイルド小説の始祖とも、アメリカ最高の探偵小説作家とも呼ばれているが、10代の頃のサミュエル少年を見て、将来、彼が大作家になると思ったものはいなかっただろう。そもそもこの少年は教育らしい教育をほとんど受けていなかったのだ。

 ハメットが生まれたのは1894年。父親は地元の治安判事を務めていた男で、家庭はそれなりに裕福だった。が、ハメットが6歳の時、父親が政治的に失脚し、それまで住んでいた町にいられなくなる。ハメット家は経済的にも困窮し、サミュエル少年は新聞配達のバイトを始める。そして、14歳の時に父親が倒れると学校を中退し、そのまま社会に出る。

 それからは鉄道のメッセンジャーを皮切りに、貨物係、荷役人足、機械工場の作業時間点検係、雑役夫、缶詰工場の工員、広告代理店の雑用係、製箱工場の釘打ち機械の運転係などの職を転々とし、1915年、大手探偵社であるピンカートン探偵社に就職する(ウィリアム・F・ノーラン『ダシール・ハメット伝』晶文社)。

 日本では探偵の仕事というと、浮気調査、身上調査、家出人の捜索などが中心だが、アメリカの探偵の仕事は幅が広く、警察のように犯罪捜査もすれば、警備会社のようにカジノやボクシングの試合会場の警備もすれば、暴力団のように労働組合潰しもするし、軍の内部に潜むスパイの摘発もするし、クライアントから殺人を依頼されることもある。ようするに、危なくて汚い仕事ならなんでもやるのがアメリカの探偵で、ハメットは21歳にして、そういうハードな世界に足を踏み入れたのだ。

 1918年6月、ハメットはピンカートン社を退職し、陸軍に志願する。第一次世界大戦の戦況を見て、居ても立っても居られなくなったのだ。ハメットはヨーロッパの戦場ではなく、アメリカ国内のキャンプに配属された。が、その頃、地球上に安全な場所はなく、キャンプはスペイン風邪に襲われ、ハメットも感染する。そして、この時からハメットは生涯、肺の病気に苦しむことになる。

 1919年12月、入院中に除隊が許可され、ハメットはピンカートン社に復職する。しかし、ハメットの健康が回復することはなく、徐々にハードな探偵の仕事に耐えられなくなり、1922年2月、ピンカートン社を辞め、小説を書き始める。ハメットが作家を志したのは、その頃、流行していた探偵小説を読み、「この作家たちは探偵の仕事を空想で書いている。俺の方がリアルな探偵小説が書ける」と思ったからだという。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

中川文人

中川文人(なかがわ・ふみと) 作家

1964年生まれ。法政大学中退、レニングラード大学中退。著書に『身近な人に「へぇー」と言わせる意外な話1000』(朝日文庫)、『地獄誕生の物語』(以文社)、『ポスト学生運動史』(彩流社)など。本の情報サイト『好書好日』で「ツァラトゥストラの編集会議」の構成担当。総合誌『情況』にてハードボイルド小説「黒ヘル戦記」を連載中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

中川文人の記事

もっと見る