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美術家・篠田桃紅が遺した忘れ難い言葉②~よき思い出となった数々の出会い

アートの中心地ニューヨークで出会った印象深い人たち

佐藤美和子 編集者

一切を超えて自然体。岡田氏の美意識に脱帽

 岡田氏の美意識は、その絵画から窺い知ることができると生前、桃紅さんは語っていました。

 「絵というのはこうでないといけないとか、こうしたほうがいいとか、といった芸術家の考えがある。しかし、あのかたの絵にはそれが現れていない。一切を超えて自然体なのね。ご本人も、人を感動させようとか、インパクトを与えようなどとする表現行為はあざとい、と嫌っていました。私は彼のその美意識に脱帽した。真の芸術家だと思いましたね」

 当時の氏は、ギャラリーのドル箱と言われるほどの人気作家だったそうです。女主人のペティ・パーソンズ女史は、世界の一流美術館やロックフェラー財閥などの富豪をコレクターに抱えており、彼の高額な絵は飛ぶように売れていました。しかし、岡田夫妻は売れる以前と変わらない生活を続けていたそうです。

 「あのかたのグリニッジヴィレッジにあるアトリエは、中2階に上がる階段の手すりはぐらぐらしていて、天窓もあちこちで雨漏りがするから絆創膏を貼っていた。キチネットらしいキチネットもなくて、寝室はアトリエのソファ。トイレ・浴室は隣人と共有していた。岡田さんには偉くなったという気はないのね。やっと、周りが自分の絵を少しわかってきたぐらいに受け止めていた。美しいものを描きたい、ということだけに心を傾けていたから、立派な生活をしようという気は一切ない。ジョン・ロックフェラー三世のブランシェット夫人(1909〜92年)も、彼のアトリエに来て感心していましたよ。『ケンゾウは偉いねえ』って」

人は自由にどのようにも考えてもいい

拡大最後の著書『これでおしまい』(篠田 桃紅著、講談社)
 普通の人なら、お金ができれば、少しはいいアトリエに引っ越そうと考える。わざわざ雨が漏るところにいることもない。桃紅さんは、世間の常識に生きていない岡田氏に出会い、人というものを勉強したと言います。

 「人のすることは多様で、どういうこともありうる。そのなかでどういうことに価値があるのかということを考えるようになったのは、私がニューヨークで得たものの一つです。真の価値について常に考えさせられていますよ」

 そんな桃紅さんの思考を表した言葉が、最後に遺した著書『これでおしまい』にも収められています。

――「人は自由にどのように考えてもいいのです。どのように考えてもいいどころではありません。どのようにも考えなくてはいけない。それが自分の人生を生きる鍵です」
――「よそと自分が違っている。どっちを取るかって決めなくちゃいけない。あくまでも自分の価値観で生きるべきです」

三島由紀夫を誘ってベティの誕生日ディナーに

 桃紅さんは岡田謙三氏を「どのジャンルにも入らない、唯一無二の人」と形容していました。氏のアトリエには、マーク・ロスコ(画家・抽象表現主義の旗手、1903〜70年)などアーティストたちも頻繁に遊びに来ていたそうです。

 「ある時、アトリエに行くと、ロスコさんがわあわあ泣いていた。帰った後に、ロスコさんどうしたの?って岡田さんに尋ねたら、夫婦喧嘩をしてきたと。日本からもたくさんの人が相談に訪ねてきていましたよ。岡田さんはニューヨークで最も成功した日本人として知られていましたから。
 三島由紀夫(作家、1925〜70年)がアトリエに来た時は、たまたまベティ(ベティ・パーソンズ女史)の誕生日を祝うディナーへ行くところだったので、誘って一緒に出かけたこともありました」

 ちなみに、桃紅さん自身がベティ・パーソンズ ギャラリーで作品を発表したのは1965年以降です(これについては、前回も書きました)。当時、同女史のギャラリーは3、4年先までスケジュールが決まっていました。

拡大来日したベティ・パーソンズ女史(右から2番目)と岡田謙三夫妻とともに、鎌倉大仏にて。

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筆者

佐藤美和子

佐藤美和子(さとう・みわこ) 編集者

雑誌と書籍の編集者。時折、執筆もする。日本文化と伝統を愛する日本人だが、言動にガイジンが入っていると言われる帰国子女。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです