YouTubeチャンネルが話題。コロナ禍で深刻化する「お金」と鬱の問題
2021年05月30日
フォロワー数34万人越え(2021年5月末日現在)。老若男女を問わず、全国から寄せられる悩み相談を一つひとつ丁寧に取り上げ、仏教の教えを鏤(ちりば)めながら、心の解決へと誘うYouTubeチャンネル「大愚和尚一問一答」が話題を呼んでいる。5月11日には「孤独」をテーマに書き下ろした『ひとりの「さみしさ」とうまくやる本』(興陽館)が出版され、たちまち重版に。大人気を博す大愚和尚に、ここに至るまでの経緯、そして現在の心境などを訊いた。
大愚元勝 ダイグゲンショウ
佛心宗大叢山福厳寺住職。慈光グループ会長。駒澤大学、曹洞宗大本山総持寺を経て、愛知学院大学医学院文学修士号を取得。僧名「大愚」は、大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意。僧侶、事業家、作家、公演家、セラピスト、空手家と5つの顔を持ち、「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド出版)、『人生が確実に変わる 大愚和尚の答え』(飛鳥新社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、『今日の心と言葉と行いを整える日めくり毎日一禅』(扶桑社)など。
――僧侶以外にもたくさんの肩書をお持ちですが、まずはここに至るまでの経緯を教えてください。
愛知県小牧市の禅寺・福厳寺の子として生まれました。540年続く寺の歴史の中で私は31代目の住職にあたります。師匠というのは先代にあたる父のことですが、私は師匠から息子としてという以前に弟子として厳しく育てられました。3歳で経を習い、5歳で法事に見習いとして連れて行かれ、10歳で得度したのです。
子ども時代はみんなと一緒に遊びたかったし、どうして自分だけが早朝から寺の掃除をしなければならないのかと、理不尽な思いでいっぱいでした。学校などで「お寺の子」と特別視されるのも嫌でたまらなかった。ちょっとはしゃいだだけで「坊さんの子なのに」と言われてしまうので、精神的に非常に窮屈だったのです。
そうしたことからいつしか反発心を抱くようになり、高校を卒業したら寺を出るつもりでした。一人で生きていくためには資金が必要だと考え、寺の中で子ども相手の英語塾を始めることにしたのですが……。
単に「お子さんに英語を教えますよ」と告知するだけでは、生徒さんが集まらないだろう。どうしたものか、と思案した結果、お寺と訊いて人々が思い描くイメージを活かそうと思いたち、「礼儀作法も備わります」と書いたチラシを配りました。軒先に子どもの服が干してある家のポストに入れて歩くという営業をしたところ、大変な人気になり、もしや自分には商才があるのではないか? と自惚(うぬぼ)れたりしたものです(笑)。
――高校時代はお寺を出るつもりだったとのことですが、駒澤大学に進み、仏教を学んでおられますね。
当時の私は本当に愚かで、とりあえず上京すれば、親元から離れて自由に暮らせると安易に考えていたのです。実際、友達と部屋をシェアして暮らしたり、仲間とカラオケを楽しんだり、恋愛も経験しました。
楽しいことばかりではなく、友達と喧嘩をしたり、バイト先で叱られたりもしました、失恋の痛手や将来の不安などから、鬱々(うつうつ)と過ごしていた時期もありましたが、総じて青春時代というのでしょう。得難い体験をしたと思っています。
現在、私のもとへは思春期の方々からの、「なぜ自分には友達ができないのか?」「好きな人に告白できない自分はダメ人間なのか?」といったお悩み相談も数多く寄せられていますが、私に修行僧としての体験しかなかったら、若い人の心の痛みや苦しさに寄り添うことはできなかったでしょう。
――結局のところ、大学卒業後はご実家のお寺に戻られたのですか?
はい。僧侶としての修行を積みながら、学生時代から続けていた空手の大会に出場すべく、練習に励んでいました。ところが、ある日、交通事故に遭い、むち打ちの症状に悩まされるようになってしまいます。どこへ行っても改善しない中、私は一人の整体師と出会い、「心と体は連動している」をテーマにした治療に感銘を受けて、私自身も整体の勉強をはじめることにしました。
――整体師を志したのですか?
はじめは整体を生業(なりわい)とする気はありませんでした。けれど、知識や技術を高めるためには施術の経験を積む必要があります。そこで寺の一角を借りて、無料で檀家さんの施術を始めたところ、口コミで広がり、たくさんの方が訪ねてみえるようになったのです。
タダで診てもらうわけにはいかないと、お金を包んで来られる方がほとんどでしたので、それならということで寺の活動とは切り離して整体院を立ち上げます。無料で施術をしていた時代を含め、引退するまでの約15年間のあいだに、延べ5万人ほどの施術を行いました。
たとえばテニスで腕を痛めたという人がいたら、自分もテニスを習いに行って、どこの筋肉をどう使うのかについて探求していました。あるいは畑仕事で腰を痛めたという人がいれば、自分も畑仕事を体験してみる。
なぜかと言えば、通りいっぺんに「痛いよね」と同情するだけでは、相手の信頼を得ることができないからです。信頼されなければ、治療法に耳を傾けてはもらえません。改善へと促すためには、「私もやってみて初めてわかったけれど」と痛みに寄り添うことが大切なのです。
『大愚和尚の一問一答』にも、同じスタンスで取り組んでいます。私は自分の失敗談も話すし、どんなに未成熟な人間であるかについても語る。上から目線で説かないというのが信条です。
――起業家として活躍されていた時期もあるようですが。
32歳の時に「慈悲心を具現化したい」と複数の事業を立ち上げ、軌道に乗せることができました。けれど、それを機に、ここから先は僧侶の仕事に専念しようと決意します。事業を後進へと引継ぎ、私自身は仏教伝道ルートを辿(たど)るインドの旅を皮切りに、世界23カ国を訪ね、その中で僧侶としてのあり方や寺の方針などについて熟考しました。住職就任したのは2017年、42歳の時です。
――時を同じくして「大愚和尚の一問一答」をスタートされています。YouTubeに着目したのはなぜですか?
それまでにも、私はお悩み相談を受けていたのです。整体師をしていたという話をしましたけれど、私が僧侶であるということから、お釈迦様の教えによって心を整えたいと整体院を訪ねてみえる方が少なくありませんでした。ストレスが体のゆがみにつながるというのは確かなことですので、私も心の問題を解決することが重要であると考え、患者さんのお悩み相談に耳を傾けていたのです。
そんななか、誰にも相談できずにいる人がいかに多いのかを知りました。そこで住職になってすぐの頃に、メールでのお悩み相談を始めたのですが、こちらの文章力の問題もあったのでしょう。誤解を生じることも多く、頭を悩ませていた。そのうちに寄せられるメールの数も増えてきて、一人ひとりの方にお返事を書くことが時間的に難しくもなってきました。そんな折に、「でもYouTubeなら」という発想が浮かんだのです。
動画であれば、表情や声のトーンで相談者の心に寄り添いつつ、厳しく説くことができます。心の問題を解決するためには、優しさと強引さの両方がなければいけないというのが持論です。お釈迦様の教えを説く以前に、まず自分自身に向き合って欲しいというメッセージをビシッと伝えなくてはならず、それが私の役割だと考えています。
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