2021年05月31日
コロナ禍の陰鬱さの中で、記録破りの話題をさらい社会現象ともなった『鬼滅の刃』は、出版界全体の売り上げ増にも大きく貢献した。出版科学研究所によると、昨年(2020年)の出版総売り上げは前年比4.8%増の約1兆6168億円。いわゆるコロナ禍での巣ごもり需要もあって、コミックスの紙版はマンガ誌込みで13・4%増の約2706億円、電子版は31.9%増の約3420億円。合計約6126億円で、1978年の統計開始以来過去最大の市場規模となり、出版全体に占めるマンガの割合は約38%を占めるまでになった。
半世紀前までは俗悪文化の代名詞のように蔑まされ、悪書追放の対象にさえされたマンガが、出版総売り上げの4割近くを占め、しかも世界中に浸透している現状をだれが予測しただろうか。昨年12月に完結した、ちくま文庫版の『現代マンガ選集』(全8冊)からは、今日の隆盛に至るまでに時代と格闘した作家たちの過激で衝撃的な冒険の軌跡が圧倒的なパワーで迫ってくる。
この選集の発端は、四方田犬彦/中条省平編『1968[3]漫画』(筑摩書房、2018年)だ。同書は、四方田ほか編著による『1968[1]文化』『1968[2]文学』の3冊目で、1968年から72年までに発表された24編のラディカルで衝撃的な作品群を提示して見せた。中条省平が総監修の『現代マンガ選集』は、この延長上に企画されたといってもよい。
しかしそこに、手塚治虫の作品は1編も載っていない。手塚は同時期の内外のマンガの刺激を受容しながらも、ストーリーマンガの定型を破壊することなく、「表現するべき物語内容とその表現技法とが最後まで奇跡的なバランスを取りつづけた稀有な存在」だったと中条は言う。
しかし手塚は、変革期のマンガ状況を鋭く感知して、先行するマンガ専門誌『ガロ』に対抗すべく『COM』を創刊する。中条は『COM』から、石ノ森章太郎「ジュン」、岡田史子「ガラス玉」、長谷邦夫「ルパン二世」の3編を収載している。
「ジュン」は、扉は縦に6分割された墨ベタのコマをバックに、主人公の顔がアップでかぶり、頭髪に「待つ」という文字があるだけで、次ページからは全編サイレント。極端に縦長のコマを駆使した斬新な表現で、主人公の内面が幻想的に展開し、「待つ」というテーマが作者の追憶のように閉じられる最後の一コマも秀逸だ。
ベタを基調にした細長いコマ割りがデザイン的に美しく、それが見事に時の流れを映し出す表現の魅力とともに、燃えるような主人公の内面を鮮烈に描き出す手法の鮮やかさは、後のマンガ家たちに多大な影響を与えた。
17歳で『COM』に投稿してデビューした岡田史子の「ガラス玉」は、事故死した両親から手渡されたガラス玉を紛失したことから、死体となった自分を発見しておののく青年レド・アールが、少女リーベとともにガラス玉を探して彷徨する。
レドは街で出会った男に誘われ、リーベが止めるのを振り切って、ガラス玉を作ることができるという男の故郷アトラクシアに向かう。奇妙にゆがんだ超現実的な空間表現の中で、リーベを幻惑する死の恐怖と誘惑を夢幻的に描いた衝撃的な作品だ。岡田史子は、後に登場する萩尾望都ら「花の24年組」と同世代だが、少女マンガに新風を吹き込むとともに、当時の読者の熱烈な支持を受けていた。
『ガロ』からは、つげ義春「ねじ式」、林静一「赤とんぼ」、佐々木マキ「かなしい まっくす」、西岡兄妹「林檎売りの唄」の4作が採られている。
林静一の「赤とんぼ」は、墨ベタを生かしシンプルに抽象化した場面構成で、幼い少年の目から見た母の愛と、戦争で夫を亡くした母を囲っている黒い影で描かれる男への少年の殺意が、吹き出しなしの静謐なコマ運びで進められる。そして最終ページ全体が一コマで、俯瞰した家の上に「だ──ん」と描き文字がかぶるという、なんとも衝撃的な短編だ。
佐々木マキ「かなしい まっくす」は、コマも吹き出しも既存のマンガのスタイルをぶち壊し、墨ベタを生かした陰画を多用し、コマをコラージュしたようなポップな表現で、時代の喧騒を破壊的にたたきつける。後の絵本作品に登場する、お馴染みのオオカミのキャラが、「け」とつぶやくのが印象的だ。
1巻18編の中では、宮谷一彦「性紀末伏魔考」の、閉塞状況を性と暴力によって粉砕するかのような情念のほとばしりは、いま読んでも実に鮮烈だ。また、後に小説家・矢作俊彦となるダディ・グースの「砦の下に君が世界(よ)を Macbeth'69!」は、東大闘争とシェークスピアの「マクベス」をダブらせてアメコミ風タッチで描いたパロディ作品だが、60年代末の政治状況とサブカルも含めた文化的表層とをごちゃ混ぜにしてたたきつけたようなエネルギッシュで破壊的な作品でインパクトがある。
第2巻『破壊せよ、と笑いは言った』(斎藤宣彦編)でも、山上たつひこ「喜劇新思想大系」など、全共闘運動最盛期の反権力的パロディが痛烈だが、ここにもダディ・グースの作品が2本収載されている。
「貧乏くじをぼくが引く!」は、リアルに描かれた国会議事堂周辺を舞台に、月光仮面と機動隊が戦車まで出動させて戦う荒唐無稽なアメコミ的タッチの作品で、マリリン・モンローやジェームス・ディーンまで登場させ描き文字もアメコミ風。大海を漂う国会議事堂がロケット噴射して宇宙へ飛び立つラストはダイナミックで意表を突く。
「月光仮面暗殺物語り」は、当時筑摩書房から刊行中の『少年漫画劇場』第7巻の巻末エッセイだから、マンガではない。この巻に桑田次郎の「月光仮面」が掲載されていることから、ダディ・グースにエッセイを依頼したのだろう。60年代末から70年代にかけての政治文化的状況のパロディであり、自らのマンガ作品の解説とも読めるのだが、この時期のダディ・グースの時代を穿つ批評性とテーマの過激さ、劇画ともアメコミともつかぬ表現の奇抜さと鮮烈さには目を見張らされる。
筑摩書房は、1969年にA5判上製箱入りの『現代漫画』全15巻を、鶴見俊輔、佐藤忠男、北杜夫を編集委員に刊行する。この時アルバイトで編集に関わったのが、まだ大学生時代の松田哲夫だったと、永江朗『筑摩書房 それからの四十年──1970-2010』(筑摩書房)は記している。
『現代漫画』全集は予想外に好評だったことから第2期12巻を追加し、さらに71年8月から、子どもマンガ中心のテーマ別アンソロジー『少年漫画劇場』全12巻をやはり上製箱入りで刊行した。それまで雑誌掲載で終わってしまう消耗品とみなされていた子どもマンガが、全集として刊行された意味は大きい。そして戦後マンガを総括的にアンソロジーとしてまとめた一冊の巻末エッセイに、マンガの枠組を革命的に変えた最先端的作家のダディ・グースを起用したという象徴的な意味も見逃しがたい。
第3巻『日常の淵』(ササキバラ・ゴウ編)は高度成長期から平成までの移ろいゆく日常の内面まで照射した15編を掲載。以下、SFマンガの系譜を追う『異形の未来』(中野晴行編)。「60~70年代若者のカウンターカルチャーにとって『肉体』とは、既存の『知』や理念、思想言語、擬制の世界への反抗と解体の志向を意味した」とし、「性と暴力の虚構性によって時代の閉塞を突破しようとした」とする作品を収めた『侠気(おとこぎ)と肉体の時代』(夏目房之介編)。
社会の裏側や人間の欲望などをリアルに再現しようとした貸本マンガに出自を持つ作家たちの果敢な挑戦を手始めに、犯罪や暴力や性愛を描いた作品を取り上げる『悪の愉しみ』(山田英生編)。『恐怖と奇想』(川勝徳重編)では、丸尾末広「無抵抗都市」が占領下を舞台にした禍々しくも陰惨な物語が、報道写真を思わせるようなリアリティと洗練された絵柄で展開して魅了される。
最終巻となる『少女たちの覚醒』で編者の恩田陸は解説で「萩尾望都に限らず、女性作家はミュータントもの、吸血鬼もの、同性愛ものと相性がよい」とし、「それはやはり劇的に変化する性である自分が、ある時期怪物のように感じられるから」と述べている。なるほど、コロナ禍で社会現象にもなった『鬼滅の刃』も人間の血を吸うことでパワーアップする和製吸血鬼ものであり、作者の吾峠呼世晴も女性だったらしいという情報にも納得させられた。
『現代マンガ選集』は、現代マンガの変革期に、他社に先駆けマンガを商材としてではなく文化として『現代漫画』に始まるマンガ全集を手掛け、文庫にも、つげ義春や水木しげるや杉浦日向子などのマンガ作品を早くから収載してきた筑摩書房ならではの企画なのだ。
全8巻で紹介される作品の多くは、必ずしも大ヒットしたものではなく、埋もれていた作品も少なくない。しかし選び抜かれた作品群から立ち上ってくるのは、マンガという表現手段に全力を傾けて格闘し変革した作家たちの情熱のほとばしりである。それはまた、今日の多様なマンガ文化の基盤を構築してきた、エキサイティングで挑戦的な歴史的事実の検証でもある。
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