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死後の世界をめぐる仏教と人々の“ズレ”~人は死んだらどこへ行くのか?

[7]高度で組織的な「世界」観と、素朴で感覚的な「世界」観

薄井秀夫 (株)寺院デザイン代表取締役

仏教が考える死後の世界

 人は死んだらどこへ行くのか。

 決して怪しい話をしようとしているのではない。古今東西の宗教が模索してきた問いである。そして、この「死後の世界」観は、宗教によって多岐にわたる答えが用意されている。

 それでは私たちにとって身近な仏教では、どう考えているのだろうか。

Anton Watman/Shutterstock.com拡大Anton Watman/Shutterstock.com

 実は、仏教でも、明確な回答が無い。というよりも、立場によって考え方が異なっている。

 それは大きく三つの「死後の世界」観に分けることが可能だ。

 一つ目は、人は死んだら浄土に行く、という考え方である。そして、浄土という場所は、生きている時のように苦しみを感じることなく、安らかに過ごすことの出来る場所だ。

 二つ目は、人は死んだら輪廻(りんね)する、という考え方である。仏教の輪廻では、人は死んだ後、六道(りくどう)、つまり天(てん)の世界、人の世界、修羅(しゅら)の世界、畜生(ちくしょう)の世界、餓鬼(がき)の世界、地獄(じごく)の世界のうち、どれかに生まれ変わるとされている。このうちどこに生まれ変わっても、たとえ天や人に生まれ変わったとしても、苦しみが続くと考えられており、この輪廻からの「解脱(げだつ)」が仏教の理想とされている。生きること自体が苦しみであると考える仏教思想が前提にある世界観である。

 そして三つ目は、死んだら終わり、という考え方である。釈迦は、死後の魂の存在について触れることはなかったとされている。そのため、仏教は死後の世界を想定しないという考え方である。

 ちなみに日本の仏教では、一つ目の、死んだら浄土に行くという考え方が主流である。浄土系の浄土宗や浄土真宗は、まさにこの考え方が教義の中心にあるし、他にも浄土を説く宗派は多い。逆に、禅宗系の宗派は、死後の世界に触れることは少ないようだ。


筆者

薄井秀夫

薄井秀夫(うすい・ひでお) (株)寺院デザイン代表取締役

1966年生まれ。東北大学文学部卒業(宗教学専攻)。中外日報社、鎌倉新書を経て、2007年、寺の運営コンサルティング会社「寺院デザイン」を設立。著書に『葬祭業界で働く』(共著、ぺりかん社)、 『10年後のお寺をデザインする――寺院仏教のススメ』(鎌倉新書)、『人の集まるお寺のつくり方――檀家の帰属意識をどう高めるか、新しい人々をどう惹きつけるか』(鎌倉新書)など。noteにてマガジン「葬式仏教の研究」を連載中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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