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初音ミク、誰も予想できなかった文化の誕生〜奇跡の3カ月(序)

パソコンソフトが世界的知名度を得た軌跡

丹治吉順 朝日新聞記者

2007年晩夏に登場したときは、箱に入った1枚のCD-ROM、それに収められたパソコン用ソフトにすぎなかった。

パソコンにインストールして使う。その点で、家電量販店やパソコンショップで買えるワープロや表計算ソフト、年賀状印刷ソフトなどと変わりない。

「初音ミク」と名づけられたそのソフトは今、日本国内はもとより、世界中の都市を巡るコンサートを毎年のように開いている。

例えば2018年夏〜冬には、ロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントンDC、パリ、ロンドン、ケルン、北京、上海など13都市、さらに翌2019年春と夏には台北や香港でもコンサートを開いた。2020年には世界最大規模の野外フェスティバル・米コーチェラへの出演のほか、ボストン、シカゴ、モントリオールなどを巡る北米大陸ツアーが予定されていたが、これらは新型コロナウイルスの世界的流行のため中止になった。

初音ミク最初の海外公演、米ロサンゼルスで(2011年7月、安冨良弘撮影)初音ミク最初の海外公演、米ロサンゼルスで(2011年7月、安冨良弘撮影)

パソコンソフトが「歌手」になってしまった。それも世界的知名度のある歌手に。

いま日本のヒットチャートをにぎわせているソングライターの幾人もが、初音ミクやその仲間のソフトに歌わせた曲で広く知られるようになり、メジャー音楽レーベルに進出している。

例えば米津玄師さん、YOASOBIのAyaseさん、ヨルシカのn-bunaさん、「うっせぇわ」(歌唱Adoさん)の作詞作曲を手がけたsyudouさんら枚挙にいとまがない。初音ミクとその仲間たち(もちろんすべてソフトウェア)で世に出た人々が、日本の音楽シーンを変えている。

初音ミクが歌うオリジナル楽曲は十万曲の単位になる。そこから生まれた二次創作動画は百万作を超す。そうした楽曲や動画は、現在も数十から数百の単位で日々増え続けている。

初音ミクの外見は千変万化する。彼女の肖像として描かれたイラストは数十万作の規模に及び、3D CGのデータは確認できるだけで200を超えている。それらの顔は一つ一つ異なり、衣装が違う場合も多いが、にもかかわらず、初音ミクであることはたいてい一目でわかる。

有名アーティストとの共演も数多い。レディー・ガガの2014年のツアーでは、初音ミクがオープニングアクトを務めた。世界的に知られる作曲家・冨田勲さんは、初音ミクをソリストに起用し、交響曲とバレエ曲という二つの大作を作った。バレエ曲は、冨田さんの遺作になった。電子音楽ほかさまざまな分野の音楽を手がける鬼才・渋谷慶一郎さんは、初音ミク主演のオペラを書き、東京での初演の後、パリのシャトレ座で上演した。この作品はその後、アムステルダム、ハンブルク、バルセロナなどの舞台でも披露された。

冨田勲さんが初音ミクを起用した「イーハトーヴ交響曲」公演ダイジェスト。冨田さんが作曲したアニメ「リボンの騎士」主題歌も上演された

小室哲哉さん、安室奈美恵さん、BUMP OF CHICKENらヒットチャートの常連と共演し、戸田誠司さん、非常階段らのすぐれたアーティストもまた彼女を起用した楽曲を発表している。

2016年には、ジバンシーのデザイナーが製作した衣装をまとって「VOGUE」のウェブサイトを飾った。2018年の東京150周年記念イベントでは、東京・浜離宮恩賜庭園「潮入の池」の上に登場して日本の近現代歌謡史を代表する39の楽曲を歌った。Googleは2011年、ウェブブラウザー「Google Chrome」のコマーシャルビデオに、レディー・ガガやジャスティン・ビーバーと共に初音ミクを起用した。

VOGUEに登場した初音ミクVOGUEに登場した初音ミク

「出身地」である札幌市の雪まつりでは雪像が建てられ、コンサートをはじめとするイベントも恒例になっている。日本の伝統芸能・歌舞伎作品の主役も毎年務めている。

とはいえ、人々の耳目を集めるこうした華やかな動きは、初音ミクの文化のあくまでも一側面でしかない。この文化を本当の意味で育て、担っているのは、膨大な数の無名の人々による自発的・連鎖的な活動だ。この人々こそが、初音ミク文化の真の主役といえる。

初音ミクがソフトウェアとして市場に姿を現したのは2007年8月31日。そのとき、この将来像や可能性を予見した人は誰もいなかった。ソフトの生みの親たちでさえ知らなかった。むしろ彼らこそが、誕生後のその成長を、誰よりも驚きの目で見守っていた。

初音ミクの成長の方向性は、誕生直後からの約3カ月半の間に相当程度が固まった。その期間の後も、驚くような進化を彼女は見せ続けたが、その文化の核になる重要な要素の多くは、この時期に芽生えていたといっていい。

最初期を実体験したファンたちは、この期間を「奇跡の3カ月」とも呼ぶ。それまで何もなかったところに豊かな文化が生まれ、急速に形になったのがこの時期だ。その“奇跡”を起こしたのは、繰り返す通り、インターネットで結ばれた数知れない無名の人々だった。

米津玄師さんが18歳だった2009年7月に「ハチ」名義で投稿した初音ミクオリジナル曲「結ンデ開イテ羅刹ト骸」

そうした中で特に初期に活動した人々と作品を、この連載では中心に取り上げる。

登場から10年程度の間、熱狂的な支持を集める一方で、奇異な目でも見られてきた初音ミクは今、十代〜二十代の人々にとって存在して当たり前のものになった。日本の若者たちが音楽の楽しさに目覚めるとき、初音ミクたちの音楽はインターネット上に無数にあり、スマートフォンやパソコンを通じて自然に耳に入ってくる。

初音ミクの文化は、パーソナルコンピューティングとインターネットの普及という20世紀末から21世紀にかけての技術革新から生まれた。「奇跡の3カ月」もその上に成り立っている。と同時に、人間が太古から文化を生み出し伝えてきた普遍的な要素もまた、初音ミクの文化の成立と広がりの過程に垣間見える。この連載では、その約3カ月半を中心に、初音ミクの文化の誕生と成長、そしてそれを推し進めた人々の軌跡と背景をつづっていく。

〈メモ〉初音ミクとボーカロイド

初音ミクは、ヤマハの開発した歌声合成エンジン「ボーカロイド」の第2バージョンを基に、クリプトン・フューチャー・メディア(札幌市)が企画・製品化した。ボーカロイドは、人間の声を録音して細分化し、歌声として再構成する技術。初音ミクは声優の藤田咲さんがベースになる声を担当した。ボーカロイドの最初のバージョンでは、シンガーソングライター拝郷メイコさんの声を基にした「MEIKO」が2004年11月、歌手・風雅なおとさんの声を基にした「KAITO」が2006年2月に発売されている。

2007年、リリース時の初音ミクのパッケージ2007年、リリース時の初音ミクのパッケージ
当初の初音ミクは「年齢:16歳、身長:158cm、体重:42kg」と設定されていたほか、パッケージに印刷されたものを含め、同じイラストレーターKEIさんの描いた3種類の公式ビジュアルがあった。逆にいえば、それ以外の設定がほぼなかった。このことが後の初音ミクをめぐる創作を強く後押しする結果になった。

パソコン用音楽制作ソフトとして初音ミクが異例の大ヒットを収めたこともあり、ボーカロイドを採用した歌声合成ソフトはその後、クリプトン社を含めて、世に多数出ることになる。

【読者のみなさまへ】初音ミクとボーカロイドの文化にはきわめて多くの人々がかかわり、その全容は一人の記者に捉え切れるものではありません。記事を読んでお気づきの点やご意見など、コメント欄にお書きいただけると幸いです。一つひとつにお答えすることはかないませんが、コメントとともに成長するシリーズにできたらと願っています。

第1回「初音ミク、ユーザーが生んだ人格」へ続く