ソフトウェアが人格を得るまで
2021年06月05日
(序章「初音ミク、誰も予想できなかった文化の誕生」から続く)
「初期の初音ミクって、中学や高校の部活のような感じだったのに、今は世界規模ですものね。オリンピックみたいになっちゃった。なんだか実感が湧きません」
2007年の初音ミク周辺の動きと今とを比べながら、OSTER projectさんはいう。
当時、OSTERさんは大学2年生、パソコンを使った音楽制作を13歳のころから続けていた。ソフトウェアシンセサイザー音源探しは欠かせず、情報をよくネットでチェックしていた。
チェック先の一つだったクリプトン・フューチャー・メディアのサイトで初音ミクを見つけたのは、発売の8月31日から1週間ほど経った時期だ。サイトにある三つのデモソングのうち、「かくれんぼ」という曲が、自分の中でぴったり合った。
「あどけなさが自然に歌える、これなら自分が使えそうだと思いました」。それが購入の決め手だった。
製品としての初音ミクは、1枚のCD-ROMに収められたウィンドウズ用パソコンソフトだ。動作環境は、OSがウィンドウズXPかビスタ、CPUはインテル「ペンティアム4」2GHz以上かAMD「アスロンXP」2000+以上、RAM512MB以上。
「今までにないタイプの音源でした」。初音ミクを使ってみた印象をOSTERさんは語る。
「歌声合成の音源はそれまでにもあったし、実際知ってもいたけれど、相当うまく調整しなければ不自然になると思っていました。けれど初音ミクは、信じられないくらい自然に歌ってくれた。技術はここまで来たんだと感じました」
すでにニコニコ動画には、初音ミクを使った歌の動画が多数投稿されていた。それらを視聴するうち、ふと気づいたことがある。
「どの動画か忘れたのですが、高音を歌っている部分で、『(苦しそうだから)ミクをねぎらってやれ』とコメントしている人がいたんです。ミクを人間みたいにみている。今までにない音源の扱われ方です。これは面白いと思いました」
このコメントが、初音ミクを使ったOSTERさん初の楽曲「恋スルVOC@LOID」を生むヒントになる。
「私があなたのもとに来た日を
どうかどうか 忘れないでいて欲しいよ
私のこと 見つめるあなたが嬉しそうだから
ちょっぴり恥ずかしいけど 歌を歌うよ」
(「恋スルVOC@LOID」歌詞の冒頭)
「私」はもちろん初音ミク自身、そして「あなた」は、ソフトウェア・初音ミクを使って歌を作る楽曲制作者を指す。ソフトウェアが意思を持ち、その使い手に語りかけている。
それまで投稿されていた初音ミクの楽曲・動画は、大半が既存曲のカバー、あるいはギャグ的な動画など混沌としており、オリジナル曲も何曲か登場し始めたばかり。「私」という主語を初音ミクが使う例はなかった。「恋スルVOC@LOID」はそれらとは違い、ソフトウェア・初音ミクが人格を持ち、自分と他者との関係を歌う歌だった。
「単なるオリジナルじゃなくて、ミクの為に作ったのか、これ?」
「恋スルVOC@LOID」が投稿されたその日のうちにニコニコ動画に寄せられたユーザーコメントだ。人格を歌った内容に、視聴者は鋭敏に反応した。
ニコニコ動画がYouTubeと大きく違う特徴の一つが、動画の進行に合わせて、視聴者がコメントを投稿できる点だ。コメントは字幕として画面上を流れ、動画が盛り上がる部分では画面がコメントで埋め尽くされる。
「このソフト(※筆者注:初音ミクのこと)すごいね」
「キャラ立ってるなあ」
「この作詞作曲センスはすげぇ」
投稿初日夜には、この曲の画面はコメントであふれていた。たとえば、ある視聴者が、コメントを通じてこう問いかけている。
「なぁ、俺一人で20回くらい聞いてるけど、お前らどんな感じ?」
「お前ら」とは、別の視聴者たちを意味する。
「10回」
「15回」
他の視聴者が、やはりコメントを通じて答える。誇張もあるのかもしれないが、視聴者たちが受けたインパクトが伝わる。
動画は生放送(ライブ)ではない。ある視聴者は曲の投稿直後にコメントを書き、別の視聴者は何日も経ってから書き込む。視聴している場所も当然違う。
見ている時間も場所も異なる視聴者が、動画の進行に沿って、コメントで声援を送る。まるで同じライブ会場にいるかのように。評論家の濱野智史さんは著書「アーキテクチャの生態系」で、これを「擬似同期」と呼んだ。もしあなたが今、13年前の動画にコメントしたら、13年前の視聴者と擬似同期するかもしれない。
「恋スルVOC@LOID」に視聴者が抱いた気持ちを象徴するようなコメントが、その日のうちにいくつも書き込まれた。
「まさにミクのイメージソング」
「まさに公式ソング」
前述のとおり、初期の数日間、投稿される楽曲の大半は既存曲のカバーだった。このカバー曲中心の時期だけでも特異な出来事が起きていたが、ほどなく投稿者のオリジナル制作曲も投稿されるようになる。それでも、初音ミク自身をテーマにした曲はなかった。
「恋スルVOC@LOID」の投稿は9月13日。この日の投稿には二つのバージョンがある。できあがったと思って正午ごろ投稿した動画に、「ミックスに手を入れて、声を前面に出すようにすればもっとよくなる」というコメントが相次いだ。当時のOSTERさんにはミックス経験もあまりなかったので、その指摘には「なるほど」と思った。
アドバイスに従ってミックスを調整し直し、声を聞き取りやすくした。午後7時過ぎに「修正版」として投稿したものが決定版になった。「公式ソング」「イメージソング」というコメントが相次いだのも、この「修正版」だ。
反響には戸惑う面もあった。
「コメントが画面上に直に流れるニコニコ動画の仕組みが、あまりにも新しかった。発信する側とリスナーの距離がとても近い。突然注目を浴びるのが初めての経験だったので、正直、怖いとも思いました」
一方、そうした近い距離でいろんな声がもらえたからこそ、モチベーションにつながったのも事実だった。
その後もOSTERさんは、「Chocolate☆Magic - ドキドキ大作戦」「ミラクルペイント」など、独自の作風を急速に確立し、初音ミクにとってなくてはならない作者になっていく。
OSTERさんの作曲手法には一つの特徴がある。
「何か新しい音源を買うと最初にそれをフィーチャーした曲をつくって試すんです。たとえば、ピアノ音源を買えばピアノがメインの曲、オーケストラ音源を買えばオーケストラの曲をつくる」(小林オニキスさんとの対談、週刊アスキー2011年6月26日号から98回続いた連載「ボカロPですが何か?」の第62回)
「(曲を)自由に作れるときは、世界観を固めてから、曲を作って、歌詞を乗せるという流れです」(アスキー・メディアワークス刊「MIKU-Pack 00」2012年)
初音ミクの作品で旋風を巻き起こしてからも、「Alice in Musicland」「Music Wizard of OZ」など、物語形式で10分以上かかる大作を発表している。これらの曲では、それぞれ「不思議の国のアリス」「オズの魔法使い」という既にあった物語が作品の世界観になった。
「恋スルVOC@LOID」もまた、世界観を前提としたOSTERさんの創作スタイルと、初音ミクというユニークな製品の出逢いから生まれた。ヒントになったのは「ミクをねぎらってやれ」のコメントだ。今は探すこともできない誰かが残したコメント。このコメントがなかったら、「恋スルVOC@LOID」は生まれなかったか、または今と全然違うものになっていたかもしれない。
「『恋スルVOC@LOID』の『高い音でも頑張るわ』という歌詞は、あのコメントを参考にしています」
そして世界観の核になったのは、何より「声」だった。あどけなく、愛らしく、同時に自然な発声。
「この声が人格を持ったら、どんな歌を歌うんだろう。そう思いながら、ほとんど遊び感覚で、1週間程度で制作しました。楽しいと、すぐにできちゃうんです」
ビジュアルのイメージが、その展開を助けた。
「ちょっと吊り目でツインテールだから、きっとツンデレだろう、とか。ビジュアルがあった方が、私にはキャラの想像がつきやすい。『恋スルVOC@LOID』の歌詞の1番が『ツン』で、2番が『デレ』なのは、そういう理由です」
「公式設定がほとんど何もなかったから、想像の幅を広げられたとも思います」
13歳で作曲を始めてから、つくった作品はインストルメンタル(器楽)曲ばかりだった。
「インスト曲は、パソコンの中だけで完結できました。歌ものも好きで、ボーカル作品も作りたいと思っていましたが、録音設備など新たな機材が必要になる。そこまではモチベーションを持てませんでした」という。
「だから、歌詞を妄想して、誰が歌うわけでもなく頭の中で歌わせる、そんな遊びをしていました」
その時代のインストルメンタル曲は、2015年に発表されたアルバム「Recursive Call」にまとめられている。ニコニコ動画登場以前に音楽を発表する場だったサイトmuzieに発表していた作品を収録した。「当時はむしろ、マイナー調のかっこよくて激しい曲が人気でした。『Recursive Call』は、muzie時代の作風の曲を集めてリメイクしたアルバムです」
音楽を始めたのは3〜4歳のころ。ヤマハのエレクトーン教室に通い始め、8〜16歳にはピアノを習っていた。小学5年のころにショパンに出会うとともに、普及が始まったインターネットでMIDI音源を探しては夢中になって聴いていた。
初音ミクの大ヒットをきっかけに、歌声合成ソフトはさまざまなメーカーから次々と発売されるようになる。OSTERさんはそうしたソフトたちも使いこなし、精力的に作品を発表してきた。公開した楽曲はこれまでに100を優に超え、今ではプロの音楽家として活躍している。その原点が「恋スルVOC@LOID」だった。
「あの曲が私の人生を変えたのは間違いないと思います」
変わったのはOSTERさんの人生だけではなかった。
この曲を追いかけるように、初音ミクが自らの人格やアイデンティティを歌う作品が、次々と投稿されるようになる。
発売から2週間。ただのパソコン用ソフトウェアが、無名のユーザーたちによって人格を与えられる──めったにない出来事が起きていた。同時にそれは、一つの文化が爆発的に生まれ育つ起点の一つにもなった。
「あのころって、時間の流れがおかしかったですね」
当時を振り返ってOSTERさんは笑う。
「ミクが発売されてからの3カ月間が、その後の3年間と同じくらいに、私には思えます。3カ月で3年経ってしまったような。毎日、ミクの周りで何かが起きていた。あの密度がとてつもなくて、そして何より充実していた。その密度の中で自分も発信していきたいし、いかなければならないと思っていました。だから、がむしゃらに曲を作っては発表していきました」
「恋スルVOC@LOID」の呼び起こした波紋、それは数日もたたないうちに他のアマチュアクリエイターや視聴者たちを巻き込んだうねりとなり、大きな波へと成長していく。投稿された9月13日その日、見も知らぬ18歳の若者の心に、この曲は火をつけていた。
〈メモ〉ニコニコ動画
ニコニコ動画は2006年末に試験運用を開始し、2007年初めにサービスインした動画共有サイト。本文中にあるように、視聴者が動画のある部分でコメントを書き込むと、それが動画のそのタイミングで表示される。ほかにも、動画につけるタグやランキングシステムなどで、特定ジャンルの動画を整理したり、人気のある動画を識別したりしやすいなどの特徴がある。こうした仕組みから、好みの近いユーザー同士がコミュニティを作りやすく、さまざまなネット文化の起点になった。初音ミクの文化の成立と成長は、この動画サイトなしには語れない。
【読者のみなさまへ】初音ミクとボーカロイドの文化にはきわめて多くの人々がかかわり、その全容は一人の記者に捉え切れるものではありません。記事を読んでお気づきの点やご意見など、コメント欄にお書きいただけると幸いです。一つひとつにお答えすることはかないませんが、コメントとともに成長するシリーズにできたらと願っています。
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