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初音ミク、ユーザーが生んだ人格〜奇跡の3カ月(1)

ソフトウェアが人格を得るまで

丹治吉順 朝日新聞記者

世界観の決め手は、初音ミクの「声」

「恋スルVOC@LOID」もまた、世界観を前提としたOSTERさんの創作スタイルと、初音ミクというユニークな製品の出逢いから生まれた。ヒントになったのは「ミクをねぎらってやれ」のコメントだ。今は探すこともできない誰かが残したコメント。このコメントがなかったら、「恋スルVOC@LOID」は生まれなかったか、または今と全然違うものになっていたかもしれない。

「『恋スルVOC@LOID』の『高い音でも頑張るわ』という歌詞は、あのコメントを参考にしています」

そして世界観の核になったのは、何より「声」だった。あどけなく、愛らしく、同時に自然な発声。

「この声が人格を持ったら、どんな歌を歌うんだろう。そう思いながら、ほとんど遊び感覚で、1週間程度で制作しました。楽しいと、すぐにできちゃうんです」

ビジュアルのイメージが、その展開を助けた。

「ちょっと吊り目でツインテールだから、きっとツンデレだろう、とか。ビジュアルがあった方が、私にはキャラの想像がつきやすい。『恋スルVOC@LOID』の歌詞の1番が『ツン』で、2番が『デレ』なのは、そういう理由です」

「公式設定がほとんど何もなかったから、想像の幅を広げられたとも思います」

「恋スルVOC@LOID」が人生を変えた

13歳で作曲を始めてから、つくった作品はインストルメンタル(器楽)曲ばかりだった。

「インスト曲は、パソコンの中だけで完結できました。歌ものも好きで、ボーカル作品も作りたいと思っていましたが、録音設備など新たな機材が必要になる。そこまではモチベーションを持てませんでした」という。

「だから、歌詞を妄想して、誰が歌うわけでもなく頭の中で歌わせる、そんな遊びをしていました」

その時代のインストルメンタル曲は、2015年に発表されたアルバム「Recursive Call」にまとめられている。ニコニコ動画登場以前に音楽を発表する場だったサイトmuzieに発表していた作品を収録した。「当時はむしろ、マイナー調のかっこよくて激しい曲が人気でした。『Recursive Call』は、muzie時代の作風の曲を集めてリメイクしたアルバムです」

アルバム「Recuusive Call」。Apple MusicやLINE MUSIC、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスで聴ける拡大アルバム「Recuusive Call」。Apple MusicやLINE MUSIC、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスで聴ける

音楽を始めたのは3〜4歳のころ。ヤマハのエレクトーン教室に通い始め、8〜16歳にはピアノを習っていた。小学5年のころにショパンに出会うとともに、普及が始まったインターネットでMIDI音源を探しては夢中になって聴いていた。

初音ミクの大ヒットをきっかけに、歌声合成ソフトはさまざまなメーカーから次々と発売されるようになる。OSTERさんはそうしたソフトたちも使いこなし、精力的に作品を発表してきた。公開した楽曲はこれまでに100を優に超え、今ではプロの音楽家として活躍している。その原点が「恋スルVOC@LOID」だった。

「あの曲が私の人生を変えたのは間違いないと思います」

とてつもない密度だった3カ月

変わったのはOSTERさんの人生だけではなかった。

この曲を追いかけるように、初音ミクが自らの人格やアイデンティティを歌う作品が、次々と投稿されるようになる。

発売から2週間。ただのパソコン用ソフトウェアが、無名のユーザーたちによって人格を与えられる──めったにない出来事が起きていた。同時にそれは、一つの文化が爆発的に生まれ育つ起点の一つにもなった。

「あのころって、時間の流れがおかしかったですね」

当時を振り返ってOSTERさんは笑う。

「ミクが発売されてからの3カ月間が、その後の3年間と同じくらいに、私には思えます。3カ月で3年経ってしまったような。毎日、ミクの周りで何かが起きていた。あの密度がとてつもなくて、そして何より充実していた。その密度の中で自分も発信していきたいし、いかなければならないと思っていました。だから、がむしゃらに曲を作っては発表していきました」

「恋スルVOC@LOID」の呼び起こした波紋、それは数日もたたないうちに他のアマチュアクリエイターや視聴者たちを巻き込んだうねりとなり、大きな波へと成長していく。投稿された9月13日その日、見も知らぬ18歳の若者の心に、この曲は火をつけていた。

〈メモ〉ニコニコ動画

ニコニコ動画は2006年末に試験運用を開始し、2007年初めにサービスインした動画共有サイト。本文中にあるように、視聴者が動画のある部分でコメントを書き込むと、それが動画のそのタイミングで表示される。ほかにも、動画につけるタグやランキングシステムなどで、特定ジャンルの動画を整理したり、人気のある動画を識別したりしやすいなどの特徴がある。こうした仕組みから、好みの近いユーザー同士がコミュニティを作りやすく、さまざまなネット文化の起点になった。初音ミクの文化の成立と成長は、この動画サイトなしには語れない。

【読者のみなさまへ】初音ミクとボーカロイドの文化にはきわめて多くの人々がかかわり、その全容は一人の記者に捉え切れるものではありません。記事を読んでお気づきの点やご意見など、コメント欄にお書きいただけると幸いです。一つひとつにお答えすることはかないませんが、コメントとともに成長するシリーズにできたらと願っています。

初音ミクが「歌姫」になった日〜奇跡の3カ月(2)へ続く

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筆者

丹治吉順

丹治吉順(たんじよしのぶ) 朝日新聞記者

1987年入社。東京・西部本社学芸部、アエラ編集部、ASAHIパソコン編集部、be編集部などを経て、現在、オピニオン編集部・論座編集部。機能不全家庭(児童虐待)、ITを主に取材。「文化・暮らし・若者」と「技術」の関係に関心を持つ。現在追跡中の主な技術ジャンルは、AI、VR/AR、5Gなど。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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