出てくれないと退院できません!
2021年06月01日
「どんど、どんどと鳴る屁は臭い、鳴らぬスコ屁は、なお臭い」
これは助産師(当時は産婆さんと言った)であった私の祖母が、「誰かがそれをしたときに」何度となく、子どもだった孫の私たちに言っていた言葉だ。
訳すると、「どんど、どんど」とはつまりは「ぶー」とか「ぷー」というおならの音、そういう音がすればそんなに臭くないよね(でも臭いのもあるが)、それより、音がしない「すー」というおなら(「鳴らぬ、スコ屁」がこれ)はもっと臭いよ、という意味で、「だれだ、だれだ、おならしたのは!?」というような意味合いで言われた子どもたちは「違う、違う」と大笑いしていたものだ。ちなみに、祖母は私たちと同居していたので日常茶飯事にこういうことがあった。
これらの報道の中で、何度も「屁」「屁」「屁」と繰り返される中、私の頭にこだましていたのが、冒頭の「どんど、どんど……」というおばあちゃんの声だった。さらに、助産師で看護師でもあった祖母は、「屁」の話になると「屁がいかに大事なもの、サインであるか」を孫たちに語っていたことも思い出していた。「おならが出ないと大変なんじゃ」とも繰り返し言っていた。
「緊急事態宣言を“屁”というなんてけしからん」というのが大方の主張だということもよくわかるが、この場合の「屁」は大したことがないものという意味内容の象徴として無意識に使っているのは明らかだ。
「屁」は大事なのか、大したことがないのか。こういうときには、まず辞書を見てみるのが肝心だ。
①飲み込んだ空気や、腸の内容物の発酵によって発生したガスが肛門から排出されるもの。おなら、ガス。例文「屁をひる」
②ねうちのないもの、つまらないもののたとえ。例文「屁の河童(かっぱ)」「屁理屈」 (広辞苑)
なるほど、「屁を放(ひ)って、尻(しり)窄(すぼ)める」なんてことわざもある。状況が目に浮かびそうで、自分のお尻の筋肉もきゅっとなる。
屁、おならが本当に大事だということは、おそらく医療関係者であれば当たり前のことであろう。ごく最近、そのことを我が事として体験した。
実は最近、私はお腹を切って、とある臓器(消化器系ではない)を摘出したのである(正確には、切ってもらったのであるが、この全プロセスはそのうちまた書きたいと思っている)。
手術をするので、その前日くらいから絶食が始まる。そしてオペ日は水分摂取が始まり、その翌々日から流動食が始まった。要は3日ほどろくろく食べ物らしいものは口にしていなかったのだが、チェックに来る看護師さんや診察に来るドクターが毎回、毎回「便は出ました?」「ガスは出ました?」と聞いてくるのだ。
「便」は何を指しているかわかるが(当たり前だ)、最初一瞬「ガス? って何?」となり、ああ、「屁」、おならのことだとわかった。「直接的に“おなら”と言わず、お上品に“ガス”って言うのかな?」とか思ったり、「まだろくろく食べてないのに、そんなもん出るわけないよ」と心の中でつぶやいたり。
なぜ「屁」がそんなに大事なのか。
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