メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

必見! ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』──これぞ“映画の極北”

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 表現を最小限に切り詰める禁欲的な作風で知られる、ロベール・ブレッソン監督(仏、1901~1999)。ブレッソンはしばしば“孤高の映画作家”と呼ばれるが、それはまさしく、他に類を見ない独自のミニマルなスタイルゆえに、映画史的な位置づけが難しい監督だからである。

 そんな彼の長編第3作、『田舎司祭の日記』(1951、モノクロ)が、製作から70年を経てついに劇場初公開される(6月4日より、東京・新宿シネマカリテほか)。必見の傑作だが、対独レジスタンス映画『抵抗──死刑囚の手記より──』(1956)、犯罪映画『スリ』(1959)で確立されるミニマリズムの極致ともいうべきブレッソン・タッチへと至る、いわば過渡期的な“実験映画”である点でも、非常に興味深い作品だ(原作はジョルジュ・ベルナノスの同名小説)。

『田舎司祭の日記 4Kデジタル・リマスター版』 6月4日(金)より、東京・新宿シネマカリテ他にて全国順次公開 © 1950 STUDIOCANAL 提供:マーメイドフィルム/配給:コピアポア・フィルム
拡大『田舎司祭の日記 4Kデジタル・リマスター版』 6月4日(金)より、東京・新宿シネマカリテ他にて全国順次公開 © 1950 STUDIOCANAL 提供:マーメイドフィルム/配給:コピアポア・フィルム

 描かれるのは、北フランスの寒村アンブリクールに赴任した敬虔な若い司祭(クロード・レデュ)の孤独をめぐる、沈鬱でメランコリックな受難劇である。──額の広い、生まじめで神経質そうな彼は、体調不良(胃痛)を抱えながらも、布教活動に身を捧げる。が、その熱意ゆえにかえって、彼は閉鎖的で陰険な村人たちから疎まれ、煩悶する(ある少女は信心深いふりをして、主人公を笑いものにする)。

 まさしく、パッション/情熱とは<受苦>なのだが、主人公にとって教区アンブリクールは、偽善や虚言のはびこる悪の園だった(「わたしは“聖なる苦悩”の虜なのだ」、「彼、彼女ら〔村人たち〕を正しい道に導くのが司祭の役目だ」、と主人公は静かに独白する)。もちろん、日々煩悩(ぼんのう)にまみれて生きている私は、彼の苦悩や葛藤を十分に理解することはできない(身近に彼のような人物がいたら、信仰心に凝り固まった暗いヤツ、と思うかもしれない)。

 しかし、誰しも経験があるだろう、自分の伝えようとしたことが相手に伝わらない不如意(ふにょい)を、村人たちに信仰を説くが彼らにはそれが伝わらない、という主人公の無力感に重ねて本作を観ることはできる。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

藤崎康の記事

もっと見る