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萩尾望都『一度きりの大泉の話』が書きたかったのは竹宮惠子のことではなく

青木るえか エッセイスト

萩尾望都は古くならない。竹宮惠子は……

 直ちに買いこみましたよ私。というのも、私はずっと、萩尾望都と竹宮惠子というマンガ家ふたりについて、いろいろ思うことがあったからだ。

 高校時代、漫研の部員(恥)でやおいマンガ好き(大恥)だった私は、『風と木の詩』や、竹宮惠子が表紙やマンガを描いていた『COMIC JUN(後のJUNE)』を読んで、ずっと思っていたことがある。

 あくまで私の感じたこと、と断ってから書くと、「萩尾望都と竹宮惠子って、なんか二人並び称されてたりするけど、並ぶ人ではないのでは……」ということだった。

 この二人は、マンガ家になりたての頃、練馬区大泉のアパートで同居していた。それでこのアパートが「大泉サロン」とか言われて(それが『一度きりの大泉の話』のタイトルの由来にもなっている)、その意味で二人の名前がよく出るのはわかるとしても、この二人の並び称され方って、私には「ちがう」としか思えなかった。

 萩尾望都のマンガは古びないが、竹宮惠子のマンガは古くなってしまう。

 これは竹宮惠子を貶めているのではなく、萩尾望都がすごいという話で、ほとんどすべてのマンガ家のマンガが年月を経ると古くさくなってしまうので竹宮惠子がダメというわけじゃなく「ごくふつう」のことなのだ。
 (他に「古びないマンガ家」の例を挙げれば、長谷川町子がそうだろう)

 ただ、いつもなんとなく「萩尾望都と竹宮惠子」と並べられてたから、いったいこのことについて竹宮惠子はどう思ってるんだろう、というのが疑問だった。

 メディアに出てくる竹宮さんて人は、自分の能力やセンスに自信満々で、漫画教室とかやって人に指導したりするし、自己評価がすごい高い人っぽく見えるので、自分と萩尾望都が少女マンガ界の両雄である、という意識があったりするのでは。あれだけのマンガ家だし自信あって当然とは思うが、それにしても……。

 などという私の勝手で失礼な思い込みは、竹宮さんの書いた『少年の名はジルベール』(2016年、小学館)という、自伝のような本を読んだ時に崩れた。

萩尾望都さん著「一度きりの大泉の話」(左)を読む上で竹宮惠子さん著「少年の名はジルベール」(小学館)拡大萩尾望都『一度きりの大泉の話」(河出書房新社)と竹宮惠子『少年の名はジルベール』(小学館)

 この本を読んで、私は

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筆者

青木るえか

青木るえか(あおき・るえか) エッセイスト

1962年、東京生まれ東京育ち。エッセイスト。女子美術大学卒業。25歳から2年に1回引っ越しをする人生となる。現在は福岡在住。広島で出会ったホルモン天ぷらに耽溺中。とくに血肝のファン。著書に『定年がやってくる――妻の本音と夫の心得』(ちくま新書)、『主婦でスミマセン』(角川文庫)、『猫の品格』(文春新書)、『OSKを見にいけ!』(青弓社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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