2021年06月15日
前稿はこちら→「萩尾望都『一度きりの大泉の話』が書きたかったのは竹宮惠子のことではなく」
「私に竹宮惠子さんのことを訊かれても言いたくありません、そのことをわかってください、わかってもらうためにはしょうがないから1回だけ、その理由を書きます、ということで、もう一切何も言いませんよ。いいですね」
萩尾望都の『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)、この、美しいエドガー(『ポーの一族』の主人公の吸血鬼の美少年)のカバーの分厚い本は、一種の「回状」だ。
『11人いる!』を読んだ時も「すげえな」と思ったがこれを読んだあとはもっと「すげえな……」と思った。やはり萩尾望都は常人ではない。竹宮さんを含む「ふつうの人」とはちがうのだ。天才の所業である。
私がこの本を読んで最初に思ったのは、「天才は恐ろしい」だった。
「私も楽しく読ませてもらいましたが、主人公が急に友人の首を絞めて殺そうとするシーンがあり、そこがよくわかりませんでした」(p.60)
という。萩尾さんには殺人に見えるのに、竹宮さんに「これが愛なのよ」と説明されて、
「う~ん? 私にはわからないけど、深遠なものがあるのだなあ、やっぱり私には複雑すぎて無理だなあ、と思いました」(同)
こうですよ。
もし私が竹宮惠子なら「この人、ホントにわかんないの? もしかしてバカ?」と一瞬勝ち誇ったあと、「え、もしかしたら私のことをバカにしてるのか」と思い、次には「この人はほんとうにそう思っているのだ……そんな人があんなマンガを描けるのだ……」ということに気づき、打ちのめされてしまうだろう。
自分を恃(たの)む気持ちがあればあるほど、萩尾望都の存在はものすごい破壊力なのだ。
自分で磨きぬいた鎧と剣を身につけて、颯爽と立っているつもりでいるところに、ふだん着にサンダルつっかけてヒョコヒョコやってきた友人が、ただニコニコしているだけで、たくさんの人民がひれ伏していく……そういう状態である。
「私は「ごめんね。やっぱり、男の子同士のなにがいいのか、わからない」と言って謝りました」(p.58)
こう書いてしまう人が、『トーマの心臓』や『ポーの一族』を描くわけですよ。
そりゃ竹宮惠子としては、「私のものを見て盗まないで」という気持ちにもなるだろう。いや、そんなこと以上に、
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