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天才・萩尾望都の恐ろしさを思い知らされる『一度きりの大泉の話』

青木るえか エッセイスト

 「私に竹宮惠子さんのことを訊かれても言いたくありません、そのことをわかってください、わかってもらうためにはしょうがないから1回だけ、その理由を書きます、ということで、もう一切何も言いませんよ。いいですね」

 萩尾望都の『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)、この、美しいエドガー(『ポーの一族』の主人公の吸血鬼の美少年)のカバーの分厚い本は、一種の「回状」だ。

講義する竹宮惠子さん=20201月8日、京都市左京区の京都精華大学学長を務めた京都精華大学で最終講義をする竹宮惠子さん=2020年1月8日
 そういえば、それまでだって萩尾望都は竹宮惠子のことは話題にしない人だったが、竹宮さんの自伝『少年の名はジルベール』(小学館)が出てから「“伝説の”大泉サロン」についてドラマ化したいとかドキュメンタリー番組にしたいとか、いろんな企画がワッと持ち上がり、萩尾さんのところにもそういうオファーやらインタビュー申し込みやらが来た。断っても断ってもいつまでもそれが続くのですっかり疲れ果てて「皆さん、これ読んでください、これ読めば私が、竹宮さんにまつわることに口を閉ざす理由もわかるでしょう」と知ってもらうために書いたのである、『一度きりの大泉の話』は。ほんとに、それだけ。

 『11人いる!』を読んだ時も「すげえな」と思ったがこれを読んだあとはもっと「すげえな……」と思った。やはり萩尾望都は常人ではない。竹宮さんを含む「ふつうの人」とはちがうのだ。天才の所業である。

 私がこの本を読んで最初に思ったのは、「天才は恐ろしい」だった。

萩尾望都のものすごい破壊力

特別展「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」の会場=2019年9月6日午後2時39分、山梨県立美術館201909特別展「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」=2019年9月、山梨県立美術館
 今、手元にある『一度きりの~』をパラパラとめくっただけで、「天才ゆえの恐ろしい発言」が出てくる。たとえば、竹宮惠子とまだ接触があった頃の思い出話で、竹宮惠子のマンガを読んだとき、

 「私も楽しく読ませてもらいましたが、主人公が急に友人の首を絞めて殺そうとするシーンがあり、そこがよくわかりませんでした」(p.60)

 という。萩尾さんには殺人に見えるのに、竹宮さんに「これが愛なのよ」と説明されて、

 「う~ん? 私にはわからないけど、深遠なものがあるのだなあ、やっぱり私には複雑すぎて無理だなあ、と思いました」(同)

 こうですよ。

 もし私が竹宮惠子なら「この人、ホントにわかんないの? もしかしてバカ?」と一瞬勝ち誇ったあと、「え、もしかしたら私のことをバカにしてるのか」と思い、次には「この人はほんとうにそう思っているのだ……そんな人があんなマンガを描けるのだ……」ということに気づき、打ちのめされてしまうだろう。

 自分を恃(たの)む気持ちがあればあるほど、萩尾望都の存在はものすごい破壊力なのだ。

 自分で磨きぬいた鎧と剣を身につけて、颯爽と立っているつもりでいるところに、ふだん着にサンダルつっかけてヒョコヒョコやってきた友人が、ただニコニコしているだけで、たくさんの人民がひれ伏していく……そういう状態である。

 「私は「ごめんね。やっぱり、男の子同士のなにがいいのか、わからない」と言って謝りました」(p.58)

 こう書いてしまう人が、『トーマの心臓』や『ポーの一族』を描くわけですよ。

『ポーの一族』(1972年)のお気に入りの場面の前に立つ萩尾望都さん=2019年7月、東京・銀座の「萩尾望都 ポーの一族展」『ポーの一族』(1972年)のお気に入りの場面の前に立つ萩尾望都さん=2019年7月、東京・銀座の「萩尾望都 ポーの一族展」

 そりゃ竹宮惠子としては、「私のものを見て盗まないで」という気持ちにもなるだろう。いや、そんなこと以上に、

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