メガヒットの舞台裏で
2021年06月19日
【読者のみなさまへ】初音ミクとボーカロイドの文化にはきわめて多くの人々がかかわり、その全容は一人の記者に捉え切れるものではありません。記事を読んでお気づきの点やご意見など、コメント欄にお書きいただけると幸いです。一つひとつにお答えすることはかないませんが、コメントとともに成長するシリーズにできたらと願っています。
「みっくみくにしてあげる」というフレーズが頭に浮かんだのは、別の曲の制作に行き詰まり、散歩しているときだった──作者の鶴田加茂さん(投稿者名ika_moさん)は、2010年のインタビューでそう答えている(ヤマハミュージックメディア刊「VOCALOIDをたのしもう Vol.4」、企画:スタジオ・ハードデラックス)。
「今はそこまで正確に記憶していないのですが」と鶴田さんは振り返る。「曲案に詰まると近所の公園の周辺を歩き回る癖があり、そこで思いついた可能性はあると思います」
その後の初音ミク文化の勢いを決定的にしたメガヒット「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」は、この小さなひらめきから生まれた。
鶴田さんには、テキストによる一問一答形式で取材した。筆者の質問項目も細部に渡ったが、鶴田さんは筆者の予想を大きく超える文字数で細かくていねいに回答してくれた。(以下、カギカッコ内の返答は、鶴田さんの文面そのままのものもあるが、記事構成の都合上、趣旨を変えない範囲で筆者が要約している部分の方が多い。要約の責任はすべて筆者にある)
アニメソングのような歌を作りたいと思っている時期だった。萌え系・電波系といった曲想と世界観が自分の中にあり、それに合う女性ボーカルが必要だった。当然ながら自分では歌えない。かといって歌ってくれる女性の歌手も身近にはいない。日本語の女声歌声合成ソフトはすでに「MEIKO」が発売されていたが、鶴田さんが求める声質とは異なっていた。
やりたいことははっきりしているのに、実現には大きな壁がある。あきらめて別の方向性の音楽を作っていたときに知ったのが初音ミクだった。クリプトン・フューチャー・メディアのサイトで見たのが発売の前日、デモソングを聴いて「これだ」と思い、翌日さっそく買いに走った。
「当時の私にとって初音ミクは、あきらめていた夢を実現してくれるかもしれない救世主のような存在でした」と鶴田さんはいう。購入の決め手はデモソングの声質だったが、実際に使ってみると、想像以上に滑らかに歌ってくれるのに驚いた。声質はもちろん声域も、鶴田さんの理想に合っていた。
「あなたの歌姫」のazumaさんが「恋スルVOC@LOID」に強い影響を受けたのとは違い(連載第2回参照)、鶴田さんの場合は「みっくみくにしてあげる」というフレーズが思い浮かんだことが決定的だったという。
「もちろん『恋スルVOC@LOID』は実際に聴いていたので、影響がないとは言えないのですが、私の場合は何よりも、初音ミクに『みっくみくにしてあげる』と歌ってほしいという気持ちが出発点でした」
初音ミクが「みっくみくにしてあげる」と歌う以上、みっくみくにする「相手」が必要になる。その相手として「君」という存在が生まれた。
当時、初音ミクはあくまでもソフトウェアという認識が支配的だった。そのソフトが呼びかける「君」は、ソフトと同じ空間にいなければならない。とすれば、それは初音ミクをパソコンにインストールして使うユーザーだろう。なので「(購入したソフトウェアの)パッケージをずっと見つめている君」という設定になる。
この「君」という存在を通して、ソフトウェア・初音ミクと、キャラクター・初音ミクが一つに重なっていく。そのように一種理詰めのステップを経て、この曲の歌詞は紡がれていった。
「あのね、早くパソコンに入れてよ
どうしたの?
パッケージずっと見つめてる君のこと
みくみくにしてあげる
歌はまだね、頑張るから
みくみくにしてあげる
だからちょっと覚悟をしててよね」
(「みくみくにしてあげる♪」歌詞から)
「特にサビの部分の『君』という言葉には両義性があったと思います」と鶴田さんはつづる。
「アイドルソングなどによくある手法ですが、初音ミクを使うユーザーとしての『君』と、この歌を聴いている人々の一人一人、その両方の意味にとれる。その際、主人公(君)をできるだけ無味無臭にするのは一つの定番でした。そうすることで聴き手は『君』を自分のことのように受け止められる。当時のリスナーさんは、初音ミクという存在は一体どこにいるのかと感じていたと思いますが、この歌詞はそれとうまく噛み合ったように感じます」
こうして、初音ミクが呼びかける「君」は、ソフトウェア・初音ミクの使い手だけでなく、楽曲「みくみくにしてあげる♪」の聴き手全員とも位置づけられた。ソフトの使い手だけでなく、聴き手すべてに初音ミクが呼びかける。鶴田さんが作ったこの歌は、そういう意味合いを持っていた。
パッケージに印刷された初音ミクのキービジュアルや、設定の少なさにも影響されたはずだと鶴田さんは記す。
「仮にC-3PO(映画「スター・ウォーズ」に登場するロボット)のような外見だったら、全く別の曲を作っていたと思います。特徴的な設定がなかったこともポイントで、設定がほとんどなかったからこそ、逆に特徴的な言葉を生み出す必要がありました。事前にもっと細かい設定があったら、それに合わせたストーリーやシチュエーションを考えたでしょう」
そして、いささか驚くようなことを打ち明ける。
「当時、歌ものは1コーラスしか作ったことがなく、『みくみくにしてあげる♪』はあくまでも試しに、という気持ちでした」
「OSTER projectさんは私と同年代なのですが、彼女の『恋スルVOC@LOID』が発表されたころから、遠からず私の技術では見向きもされなくなるだろうとも考えました。でも、今ならまだワンチャン聴いてもらえるかもしれない。そう思ったのです」
たしかに「恋スルVOC@LOID」の楽曲としての完成度は、伴奏部分も含めて高かった。鶴田さんもまた、「恋スルVOC@LOID」の影響を、azumaさんとは別の意味で受けていたのかもしれない。
実際、「みくみくにしてあげる♪」は再生時間約1分半、1コーラスに加えてサビが繰り返される事実上のショートバージョンともいえる。
「あくまでも試しに」「ワンチャン聴いてもらえるかも」というささやかな思いから投稿した「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」。だが、視聴者はこれを熱狂的に迎えた。
この曲の再生数は、投稿した9月20日のうちに11万回を超えた。サビの「みっくみくにしてあげる」の箇所では、視聴者たちがこぞって歌詞と同じコメントを投稿して唱和、画面はこの言葉で埋め尽くされた。鶴田さんの考え通り、「君」を自分のことと感じたのか。視聴者たちが盛り上げる文字通りのお祭り騒ぎ。2021年6月時点での総再生数は約1550万回、ニコニコ動画の初音ミクオリジナル曲として今もトップに君臨している。
鶴田さんにインスピレーションのように降ってきた「みっくみくにしてあげる」というフレーズ。それが、ニコニコ動画での初音ミク史上最大のヒットになり、その後の初音ミクの躍進を決定づける推進力にもなった。
「みくみくにしてあげる♪」のフルバージョン「みんなみくみくにしてあげる♪」は2009年、鶴田さんが強い影響を受けていた音楽ユニットMOSAIC.WAVとの共作アルバム「Heartsnative」に収録された。このアルバムでは、MOSAIC.WAVのボーカルみ〜こさんと初音ミクのデュエットになっている。
2012年の「Heartsnative2」では、初音ミクのソロ音声で「みんなみくみくにしてあげる♪」が改めて収録された。5年がかりの初音ミクによるフルバージョンの登場だった。
これについての質問に、鶴田さんは次のような回答を寄せた。
「正直なところ、私が関わったのはDメロくらいで、あまり関与していませんでした。追加された歌詞には全く関与していません。これは良く言えば私の限界、悪く言えば私が諦めた結果だと思います」
「当時抱えていた問題として『みくみくにしてあげる♪』のフルバージョンを作るべきか否かというものがありました。これまでの音楽経験から、あの長さで十分満足できる私がいる一方で、やはり歌ものを作るのであればフルバージョンであってこそ完成形なんじゃないかという葛藤です。歌の2番、3番やDメロとは何なのか、間奏とは何なのかという疑問を覚えたのもこの頃からで、未だに結論は出ていません」
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