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東京五輪の強行と「オリンピック貴族」につながる大学スポーツの特権化

三島憲一 大阪大学名誉教授

 日本で戦後に肥大化したのはスポーツと服飾産業だ。戦争直後は同好会的な側面が強かったのに、次第に学校スポーツを通じて巨大な組織へと肥大化してきた。

 県大会、高校選手権、インカレ、全国大会、国際大会、世界選手権、そしてオリンピック。施設も立派になり、ロゴマークやユニホームなど付加価値が増大してきた。服飾産業も、着るものがあれば生きていけるのに、さまざまな付加価値をつけて、グローバルな産業となり、スポーツ産業とも相互乗り入れをしている。選手は背後のスポンサーやクラブ・オーナーの金儲けの格好の手段だ。その頂点がオリンピックだ。

/Shutterstock.comSimone Hogan/Shutterstock.com

 それは日常の些細な動きにもみられる。私立大学で教員をした者には共通の経験があるはずだ。ときどきだが、授業の前後に学生から1枚の紙を手渡された経験だ。そこには例えば、「6月15日から30日まで表記学生は合宿に参加するので授業の欠席に関してよろしくお取り計らいください」といった趣旨の文章があり、最後に、卓球部顧問、馬術部顧問などとして、教員の名前が記され、多くの場合はハンコが押してある。なんだって、部活動なら欠席していいと、教員が認めているのか?

 こういうとき私自身は、「欠席は欠席。この紙はもらっておくけど、期末の成績で特に配慮することはあり得ません」と答えることにしていたが、なんとなく具合の悪い感覚にとらわれる。

 実際、大学によっては運動部の学生はほとんど出席しなくても卒業できるようだ。テレビで放映されるレベルのラグビー、アメフト、水泳や陸上、そして野球や駅伝などの選手たちの練習時間を考えたら、彼らが定期的に授業に出ているわけがない。参考文献を読み、宿題をし、レポートを書けるわけがない。全部欠席してもひそかに勉強して、期末試験で高得点をあげていればいいではないか、という考えもありうるが、そういう猛者が出る確率は、今年DeNAや日本ハムがリーグ優勝する可能性よりも低いだろう。

 事情通の友人は、「大学によっては正式卒業はさせていない。その代わり、例えば『A大学出身』という用語を使うのだ」と説明してくれたが、真偽のほどはわからない。星野仙一氏は、ふざけて「明治大学野球部島岡学科出身」と自称していたらしい。島岡吉郎氏は明治の野球部の往年の名監督だ。

スポーツ部員は特権階級といわんばかり

 大学から見れば、運動部は大学の知名度を上げる役割を持っている。受験生が増えれば営業的に悪くない。優勝すると、学長まで、「君たち授業に出ろよ」という代わりに胴上げされて悦に行っているあきれた始末だ。学長もスポーツ産業の凄さをよく知っている以上、研究と教育という大学の基本など無視する融通がきかなければだめということだろう。

 だが、本来学生スポーツは学業と並列してこそ意味があるはずだ。日本の大学野球の草分けのひとり安部磯雄は、その自伝にもあるとおり、自らも野球をしながら、社会派の学者として早稲田の教授も務め、多くの著書をものにした。彼は1890年代にアメリカの神学校ハートフォード校に学んだが、そこで学生スポーツの精神も学んだ。

安部磯雄早稲田大学野球部の創設者、安部磯雄。戦前は衆議院議員も務めた

 その十数年後の1904年にマクス・ヴェーバーは3ヶ月にわたるアメリカ旅行の際にドイツでは考えられない学生スポーツを知ることになった。ヴェーバーの頃はドイツの大学で課外活動といえば、学生たちがビールを暴飲し、時には決闘に至るいわゆる学生団体が盛んだった。野蛮なドイツ・ナショナリズムの温床だ。ヴェーバーも決闘を経験していた。

 ヴェーバーは、大学生がサークルを作ってスポーツをすることにも驚いたが、もっと驚いたのは、アメリカでは学生スポーツがルールを守り、フェアプレイに徹する民主主義の学校として機能していたことだ。そして大学を超えて、こうしたサークルないしクラブがアメリカの市民生活に張りめぐらされていることだった。

 安部磯雄もそうした精神を日本の教育に生かしたかったのだろう。犠牲バントを武士道に反する卑怯な戦法と罵ったのは、いささかずれてはいたが。ちなみにヴェーバーのアメリカ旅行の翌年の1905年には安部磯雄が早稲田の野球チームを率いてアメリカ各地の大学チームと対抗試合をしている。

 もちろん、古きよき時代の話だ。現在では、大学野球も草創期の福沢諭吉や安部磯雄が恐れたように、とっくにプロ野球や社会人野球への登竜門と化している(もちろんそういうところへ進めるのはごく少数だが)。スポーツによって人格を形成し、フェアプレイの精神の向上をはかるなどというのがお題目にすぎないことは、アメフトで相手を負傷させる卑怯なタックル、あちこちの大学運動部員が引き起こす未成年買春や、集団レイプ事件、飲酒の上での狼藉事件にあきらかだ。

 多くの私大では応援団や運動部上がりが事務職員となってそれなりに出世するルートが複雑に組み込まれている。時間講師で出かけた大学で、そういう方に、大日本帝国の名残りのような運動部系の挨拶をされたりすると、頭の中がくらくらっとしたものだ。

 スポーツは深く国家と社会の体制に組み込まれている。1990年代、大学の一般教養過程を見直すいわゆる「大綱化」の騒ぎで顕著に減らされたのが第二外国語だった。そのことの是非はともかくとして、「大綱化」をめぐる議論で語学とは別に、体育の必要性を疑う声もあがったことがある。戦後の貧しい時期ならいざ知らず、今では若い人が運動をする機会はいくらでもある。カリキュラムから体育を外し、その分を学業にあててはどうか、と。

 すぐに文部省の体育局(その後、文科省スポーツ・青少年局となり、現在はスポーツ庁)が動いたようだ。あっという間だった。数週間後にこの議論をする者はだれもいなくなった。そのことに気づいた人もほんの少数だったので、今こういうことを書くと、教養過程の体育を問題にする声などなかった、なにを馬鹿なことを書いているのだ、と言われるのは必定なほどだ。

 大学の体育の先生は、なにかのスポーツに秀でているだけでなく、多くの場合、

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