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東京五輪の強行と「オリンピック貴族」につながる大学スポーツの特権化

三島憲一 大阪大学名誉教授

スポーツ部員は特権階級といわんばかり

 大学から見れば、運動部は大学の知名度を上げる役割を持っている。受験生が増えれば営業的に悪くない。優勝すると、学長まで、「君たち授業に出ろよ」という代わりに胴上げされて悦に行っているあきれた始末だ。学長もスポーツ産業の凄さをよく知っている以上、研究と教育という大学の基本など無視する融通がきかなければだめということだろう。

 だが、本来学生スポーツは学業と並列してこそ意味があるはずだ。日本の大学野球の草分けのひとり安部磯雄は、その自伝にもあるとおり、自らも野球をしながら、社会派の学者として早稲田の教授も務め、多くの著書をものにした。彼は1890年代にアメリカの神学校ハートフォード校に学んだが、そこで学生スポーツの精神も学んだ。

安部磯雄拡大早稲田大学野球部の創設者、安部磯雄。戦前は衆議院議員も務めた

 その十数年後の1904年にマクス・ヴェーバーは3ヶ月にわたるアメリカ旅行の際にドイツでは考えられない学生スポーツを知ることになった。ヴェーバーの頃はドイツの大学で課外活動といえば、学生たちがビールを暴飲し、時には決闘に至るいわゆる学生団体が盛んだった。野蛮なドイツ・ナショナリズムの温床だ。ヴェーバーも決闘を経験していた。

 ヴェーバーは、大学生がサークルを作ってスポーツをすることにも驚いたが、もっと驚いたのは、アメリカでは学生スポーツがルールを守り、フェアプレイに徹する民主主義の学校として機能していたことだ。そして大学を超えて、こうしたサークルないしクラブがアメリカの市民生活に張りめぐらされていることだった。

 安部磯雄もそうした精神を日本の教育に生かしたかったのだろう。犠牲バントを武士道に反する卑怯な戦法と罵ったのは、いささかずれてはいたが。ちなみにヴェーバーのアメリカ旅行の翌年の1905年には安部磯雄が早稲田の野球チームを率いてアメリカ各地の大学チームと対抗試合をしている。

 もちろん、古きよき時代の話だ。現在では、大学野球も草創期の福沢諭吉や安部磯雄が恐れたように、とっくにプロ野球や社会人野球への登竜門と化している(もちろんそういうところへ進めるのはごく少数だが)。スポーツによって人格を形成し、フェアプレイの精神の向上をはかるなどというのがお題目にすぎないことは、アメフトで相手を負傷させる卑怯なタックル、あちこちの大学運動部員が引き起こす未成年買春や、集団レイプ事件、飲酒の上での狼藉事件にあきらかだ。

 多くの私大では応援団や運動部上がりが事務職員となってそれなりに出世するルートが複雑に組み込まれている。時間講師で出かけた大学で、そういう方に、大日本帝国の名残りのような運動部系の挨拶をされたりすると、頭の中がくらくらっとしたものだ。

 スポーツは深く国家と社会の体制に組み込まれている。1990年代、大学の一般教養過程を見直すいわゆる「大綱化」の騒ぎで顕著に減らされたのが第二外国語だった。そのことの是非はともかくとして、「大綱化」をめぐる議論で語学とは別に、体育の必要性を疑う声もあがったことがある。戦後の貧しい時期ならいざ知らず、今では若い人が運動をする機会はいくらでもある。カリキュラムから体育を外し、その分を学業にあててはどうか、と。

 すぐに文部省の体育局(その後、文科省スポーツ・青少年局となり、現在はスポーツ庁)が動いたようだ。あっという間だった。数週間後にこの議論をする者はだれもいなくなった。そのことに気づいた人もほんの少数だったので、今こういうことを書くと、教養過程の体育を問題にする声などなかった、なにを馬鹿なことを書いているのだ、と言われるのは必定なほどだ。

 大学の体育の先生は、なにかのスポーツに秀でているだけでなく、多くの場合、

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筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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