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[4]川本喜八郎・岡本忠成作品の魅力──アニメーション芸術を探究した両巨匠

叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京工学院講師

川本喜八郎氏とその作品──人形に魅入られ人形に仕えた求道者

川本喜八郎拡大川本喜八郎(1925─2010)
 川本喜八郎氏は日本を代表する人形(パペット)によるストップモーション・アニメーション作家である。

 川本氏は日本の伝統芸能である文楽や能の様式をアニメーションに導入し深化させた。その作品群は国際的映画祭で数多く受賞し、各国のアニメーションの巨匠・名匠から敬意を表されていた。

 幼少期から人形を手作りしていた川本氏は東宝撮影所美術部を経て、人形を扱った舞台劇・絵本・広告などに携わった。チェコの絵本作家で人形アニメーションの巨匠イジー・トルンカによる長編『皇帝の鴬』(1948年)、『バヤヤ』(1950年)に衝撃を受け、アニメーションの道を志す。

 1952年、劇作家・飯沢匡氏の勧めで中国から帰国した人形アニメーションのパイオニア持永只仁氏の指導を受け、アサヒビールのCM『ほろにが君の魔術師』にアニメーターとして参加。この作品が日本で制作された最初の人形アニメーション作品である。

 1963年から1年半チェコスロバキア・プラハに留学し、トルンカに師事。帰国後に壬生(みぶ)狂言の滑稽話を原作とした『花折り』(1968年)を演出。続いて演出した『今昔物語』の一編を原作とした『鬼』(1972年)、「安珍清姫」や能の演目を題材とした『道成寺』(1976年)、能の演目「求塚」を翻案した『火宅』(1979年)は「不条理三部作」と称された。いずれも日本画的美術様式を基に、文楽や能の所作を採り入れ、人形ならではの静かな狂気と情念に昇華させた傑作として名高い。

花折り(1968年・14分) Ⓒ有限会社川本プロダクション拡大『花折り』(1968年・14分) Ⓒ有限会社川本プロダクション
鬼(1972年・8分) Ⓒ有限会社川本プロダクション拡大『鬼』(1972年・8分) Ⓒ有限会社川本プロダクション
道成寺(1976年・19分) Ⓒ有限会社川本プロダクション
拡大『道成寺(1976年・19分)』 Ⓒ有限会社川本プロダクション
火宅(1979年・19分) Ⓒ有限会社川本プロダクション
拡大『火宅』(1979年・19分) Ⓒ有限会社川本プロダクション

 また、川本氏はパペット作品とは異なる作風のカットアウト(切紙)によるストップモーション・アニメーション作品『旅』(1973年)、『詩人の生涯』(1974年)なども制作。今回のプログラムからは外されたが、長編『蓮如とその母』(1981年)、『死者の書』(2005年)、中国との合作『不射之射』(1988年)、チェコのトルンカスタジオで制作した『いばら姫またはねむり姫』(1990年)など秀作は数多く、それぞれ異彩を放つ。

詩人の生涯(1974年・19分) Ⓒ有限会社川本プロダクション拡大『詩人の生涯』(1974年・19分) Ⓒ有限会社川本プロダクション

 晩年は国内外のアニメーション作家35名を総結集させた『連句アニメーション「冬の日」』(2003年)の企画・監督も務めたが、これは川本氏でなければ不可能な空前絶後の企画であった。

 一方で川本氏は、NHKのテレビドラマ『人形劇 三国志』(1982〜1984年)、『人形歴史スペクタクル 平家物語』(1993〜1995年)の人形制作も担当。その一部は「川本喜八郎人形美術館」(長野県飯田市)、「渋谷ヒカリエ 川本喜八郎人形ギャラリー」に展示されている。

 川本氏は1996年、銀座の日動キュリオで開催された「川本喜八郎展」トークショーで「諸葛亮孔明の首(カシラ)を作っている時、うまく行かず途方に暮れていた。すると深夜に《私の顔はこうではない》と声が聞こえ、自然に手が動いて完成した。だから

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筆者

叶精二

叶精二(かのう・せいじ) 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京工学院講師

映像研究家。亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京工学院講師。高畑勲・宮崎駿作品研究所代表。著書に『宮崎駿全書』(フィルムアート社)、「『アナと雪の女王』の光と影」(七つ森書館)、『日本のアニメーションを築いた人々 新版』(復刊ドットコム)、共著に『王と鳥 スタジオジブリの原点』(大月書店)、『マンガで探検! アニメーションのひみつ』(全3巻、大月書店)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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