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【公演評】ミュージカル『マタ・ハリ』

三組のWキャストが描き出した異なる色合いの妙味

橘涼香 演劇ライター


 第一次世界大戦の暗雲たれこめるヨーロッパで、フランスとドイツの二重スパイとして逮捕・処刑された伝説のダンサー、マタ・ハリ。その謎多い人生に創作の翼を広げたミュージカル『マタ・ハリ』の三年ぶりの再演が、池袋の東京建物Brilliaホールで開幕した(27日まで。のち7月10日~11日愛知・刈谷市総合文化センター アイリス 大ホール、7月16日~20日大阪・梅田芸術劇場メインホールで上演)。

 ミュージカル『マタ・ハリ』は『ジキル&ハイド』『スカーレット・ピンパーネル』をはじめとした、数々のメガヒットミュージカルを生み出した作曲家フランク・ワイルドホーンが、脚本のアイヴァン・メンチェル、作詞のジャック・マーフィとのタッグで2016年に韓国で初演したミュージカル。スパイの代名詞ともなっているマタ・ハリの人生に独自の脚色を加えた作品は、2017年の再演と合わせて累計約20万人を動員した大ヒット作品となった。

 そんなミュージカルの日本初上陸は2018年。石丸さち子訳詞・翻訳・演出のもと、ワイルドホーン独特の壮大なメロディに、ドラマ性と演劇の想像力を深めた新たな日本版とも言える上演は、大きな話題を投げかけた。今回はその石丸さち子演出による日本版の再演で、新たに迎えたキャストに合わせた緻密な掘り下げが興趣を掻き立てる上演になっている。

ラブロマンスと呼びたい甘やかな物語展開

拡大『マタ・ハリ』公演から、柚希礼音(左)&加藤和樹=撮影:岡千里

 「マタ・ハリ」と言えば官能的でエキゾチックな踊り子としてのポートレートがイメージできる人は多いだろう。人類史上最初の世界大戦となった第一次世界大戦下で、フランスとドイツの二重スパイとして逮捕・処刑された彼女の名は、のちにスパイの代名詞となり、清朝の皇族で1930年代に日本軍の工作員として諜報活動に従事したとされる川島芳子が「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれたほどだ。

 だが、川島芳子がそうだったように、マタ・ハリ本人も実際にスパイとしてどれほどの情報をもたらしたか? については、現在ほぼ否定されている。つまり、戦時下にも関わらず、ヨーロッパを自由に興行して歩けた彼女が、機密を漏洩した為にフランス軍が甚大な被害を被ったという、軍の失敗の責任を転嫁された、謂わばスケープゴードとして彼女は処刑されたというのが定説だ。

 その時代に翻弄され、虚像だけが一人歩きした「マタ・ハリ」を、過酷な人生のなかでも自らの運命を切り拓くべく闘い、真実の恋を見つけ、ただ一途に歩み続けたヒロインとして読み解いたのが、このミュージカル『マタ・ハリ』の基本路線で、今回三年ぶりに作品に接して、そのラブロマンスとも呼びたい物語展開に改めて目を開かれる思いがした。もちろん実在した人物を中心に据えているから、ストーリーが帰結する先が変わる訳ではない。それでもマタ・ハリが赴く旅路の空に、信じる愛があったことが強烈に示唆される終幕まで、その甘やかな香りは決して途絶えない。むしろ、こんなにも愛を貫いたミュージカルだったかと、胸に迫るロマンスの芳香に圧倒されるほどだ。

 その作品全体に貫かれたカラーを決定づけたのが、今回新たに組まれた多彩なキャストそれぞれに寄り添い、人間ドラマを深めた石丸の丁寧な演出だった。特に、初演でマタ・ハリを諜報戦のなかに引き込むラドゥー大佐と、真実の恋の相手となるパイロット・アルマンを日替わりで務めるという離れ業をやってのけた加藤和樹が、ラドゥー大佐に専念し、同役のWキャストに新たに田代万里生を迎えた強力な布陣が、ラドゥー大佐の存在感を飛躍的に押し上げたことが大きな効果になっている。

 これによって、初演からの続投になったヒロイン、マタ・ハリの柚希礼音と、新たに加わった愛希れいか。アルマンに初参加の三浦涼介と、続投の東啓介という、三組のWキャスト、総計8通りになるという組み合わせの妙が描き出すトライアングル、マタ・ハリをめぐる三角関係の興趣が高まり、戦時下の重苦しい現実の中に、一筋の光が差し込むが如くの愛のドラマを際立たせている。

全く異なる輝きを放つそれぞれのWキャスト

拡大『マタ・ハリ』公演から、柚希礼音=撮影:岡千里

 マタ・ハリを再び演じる柚希礼音は、何よりも雄弁なボディが持つ迫力とオーラで、初登場から鮮烈な印象を残す。宝塚歌劇団星組トップスターとして一時代を画した人だが、その男役トップスターが持つ劇場中の視線を自分に集める押し出しはそのままに、この三年間でこれも男役経験者につきまといがちの、女性を演じることに過多な意識が向いてしまう状態を脱したことで、マタ・ハリが真実の恋に出会った思いの表現が親和したのが大きい。これによって、「寺院の踊り」を神聖なものと捉えるマタ・ハリの信念の強さと、恋に生きる率直さとの二つが寄り添い、柚希礼音のマタ・ハリ像がより確立している。

拡大『マタ・ハリ』公演から、愛希れいか=撮影:岡千里

 一方、初登場の愛希れいかは、やはり宝塚歌劇団月組で、近年では最も長期にトップ娘役を務めただけでなく、優れたダンサーとしてショーシーンを牽引し続けた力量の持ち主だが、退団後『エリザベート』のエリザベート、『ファントム』のクリスティーヌなど、歌に主軸を置くミュージカルのヒロインで培ってきた歌唱面の充実が一気に花開いている。それがビッグナンバーの続くワイルドホーンメロディを十二分に支えた上に、持ち前のダンス力も健在で、しなやかな強さの中に脆さも覗く、愛希のマタ・ハリが息づいていて美しい。

 そんな全くアプローチの異なる二人のヒロインを恋する、二人の男性のWキャストがまた素晴らしい。

拡大『マタ・ハリ』公演から、加藤和樹=撮影:岡千里

 ラドゥー大佐ひと役での出演になった加藤和樹は、正直キャスティングが発表された段階では、もう加藤のアルマンは観られないのか、と一抹の寂しさを感じたほど、初演で負荷の大きな二役をいずれも魅力的に演じた記憶が尚鮮烈だが、それだけにラドゥー大佐ひと役に注ぎこまれたエネルギーには尋常ならざるものがある。

 マタ・ハリの側から見れば、強大な敵であるラドゥーの根本には、戦時下の諜報戦を勝ち抜き、自国民を、特に前線にいる兵士たちの命を守り、一日も早く戦争を終わらせたいという崇高な思いがある。加藤のラドゥーはここをきちんと押さえた上で、利用する為に近づいたマタ・ハリに魅了され、私欲としても手に入れたい妄執が生まれる過程を強い粘着性を持って表現している。そこには、どこか加虐的な香りすら漂わせているのに、イヤな奴と切り捨てるのは憚られる危険な魅力もあるのが驚異的だ。ふと、リリアーナ・カヴァーニ監督の映画『愛の嵐』の倒錯とエロスを連想したほどで、この複雑さを一人の人物の中に落とし込んだ、加藤の謂わばもうひとつの離れ業から目が離せなかった。

◆公演情報◆
ミュージカル『マタ・ハリ』
東京:2021年6月15日(火)~6月27日(日) 東京建物 Brillia HALL
愛知:2021年7月10日(土)~7月11日(日) 刈谷市総合文化センター アイリス 大ホール
大阪:2021年7月16日(金)~7月20日(火) 梅田芸術劇場メインホール
公式ホームページ
[スタッフ]
脚本:アイヴァン・メンチェル
作曲:フランク・ワイルドホーン
歌詞:ジャック・マーフィ
オリジナル編曲・オーケストレーション:ジェイソン・ホーランド
訳詞・翻訳・演出:石丸さち子
[出演]
柚希礼音、愛希れいか、加藤和樹、田代万里生、三浦涼介、東啓介
春風ひとみ、宮尾俊太郎 ほか
 
◆STORY◆
 1917年、第一次世界大戦の暗雲たちこめるヨーロッパ。
 
 オリエンタルな魅力と力強く美しい「寺院の踊り」というミステリアスなダンスで、パリのみならず、ヨーロッパ中で大人気を博しているダンサーがいた。彼女の名はマタ・ハリ(柚希礼音/愛希れいかWキャスト)。その踊りを求める声は引きも切らず、戦時下にあって、同盟国、敵国に関わらず、国境を越えて活動する自由を手に入れている稀有な存在となっていた。
 
 そんなマタ・ハリに目をつけたフランス諜報局のラドゥー大佐(加藤和樹/田代万里生Wキャスト)は、彼女にフランスのスパイとなることを要求する。国に縛られない自由なダンサーであるマタ・ハリは、当然の如くその申し入れを拒絶するが、ラドゥー大佐は、もし断れば、あなたが嘘つきだと世に知らしめることになる、とほのめかす。生きる為に辛酸をなめてきたマタ・ハリは、封印した過去に引き戻されることを恐れ、それを避ける為ならばどんなことでもすると自らを鼓舞する。
 
 同じ頃、マタ・ハリはサインを求める性質の悪いファンに絡まれ、自分を助けようとして怪我を負った戦闘パイロットのアルマン(三浦涼介/東啓介Wキャスト)に出会う。アルマンの存在は、マタ・ハリの孤独な心を揺らし、ともに美しい夜明けのパリを眺めて人生を語りあううちに、彼女は自分が運命の恋に落ちたと感じる。
 
 一方ラドゥーの執拗な要求は続き、一度だけスパイをつとめる決心をしたマタ・ハリを、彼女の世話を続けてきた衣裳係アンナ(春風ひとみ)は、必死に思いとどまらせようとするが、運命を切り拓くと誓ったマタ・ハリは、公演旅行で向かったベルリンで、彼女の崇拝者のひとりドイツ将校ヴォン・ビッシング(宮尾俊太郎)の邸宅での任務を無事遂行する。だが、フランスとドイツとの間で続けられる謀略戦はすでにマタ・ハリの想像を超えて進み、アルマンへの愛に目覚めた彼女の運命を大きく歪めていき……

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筆者

橘涼香

橘涼香(たちばな・すずか) 演劇ライター

埼玉県生まれ。音楽大学ピアノ専攻出身でピアノ講師を務めながら、幼い頃からどっぷりハマっていた演劇愛を書き綴ったレビュー投稿が採用されたのをきっかけに演劇ライターに。途中今はなきパレット文庫の新人賞に引っかかり、小説書きに方向転換するも鬱病を発症して頓挫。長いブランクを経て社会復帰できたのは一重に演劇が、ライブの素晴らしさが力をくれた故。今はそんなライブ全般の楽しさ、素晴らしさを一人でも多くの方にお伝えしたい!との想いで公演レビュー、キャストインタビュー等を執筆している。

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