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それでも幕は上がったーーコロナ禍と「高校演劇」〈1〉

中止、変更、様々な規制、高校生は試練の中に

工藤千夏 劇作家、演出家

 新型コロナは高校生の部活動にも大きな影を落としている。演劇部もこの1年余、様々な苦労を強いられてきた。高校演劇は、生徒たちが情熱を燃やす部活動であると同時に、ティーンエイジャーの問題意識や思考、感情がストレートにあらわれる「いま」を映し出す芸術でもある。高校演劇に長年関わってきた劇作家、演出家の工藤千夏さんが、コロナ禍の中での活動の現状と、そこから生まれた多様な表現について、3回にわたってつづります。

観客の前で上演、「当たり前」に涙こぼれる

 舞台を見つめる観客が客席にいる。

 熱い拍手が起こる。

 こんな当たり前のことに涙がこぼれる。

 2021年3月26〜28日、北九州芸術劇場(福岡県)で、「春季全国高等学校演劇研究大会」が行われた。全国から選ばれた10校の演劇部が、他校の部員や関係者が観客席で見守る舞台で上演した。

 わずか1日置いた3月30、31日には、穂の国とよはし芸術劇場PLAT(愛知県豊橋市)で、「全国高等学校演劇大会代替上演会」が行われ、昨夏、高知県での「全国高等学校総合文化祭(2020こうち総文)」の中で行われる全国大会に出場するはずだった13校のうちの7校が上演を果たした。

 延期と中止を繰り返した年度の最後の最後に、駆け込むように上演された、逆転ホームランのような舞台である。

Biscotto Design/shutterstock.com

甲子園より「狭き門」、 高校演劇のコンクール

 なじみのない方のために、「競技」としての高校演劇コンクールについて簡単に説明しておこう。

 全国高等学校演劇協議会(高演協)に加盟する約2000の高校演劇部は、全国大会を目指して、毎年夏から早春にかけて、各地域の大会に参加する。ルールは、上演60分以内、装置の設置と撤去30分以内、キャストとスタッフは在校生に限る。演じる内容は自由で、生徒や顧問が執筆した創作脚本、部員たちの集団創作、プロの劇作家の作品、古典の潤色など様々だ。

2020年夏に高知県で開催されるはずだった高校演劇の全国大会、「こうち総文」演劇部門
 都道府県内の地区大会 → 県大会(加盟校が少ない県は県大会から) → ブロック大会(全国8ブロック)での選考経て、12校が夏の「全国高等学校総合文化祭(総文)」の一環として開催される全国大会に駒を進める(各ブロック最優秀賞1校、加盟校の多い関東ブロックから2校、開催地から1校、ブロック持ち回りプラス枠1校)。3700校余りの野球部から、49校が甲子園に出場できる高校野球の選手権大会より「狭き門」だ。

 全国大会を「夏の甲子園」に例えるなら、毎年3月に行われる春季全国高等学校演劇研究大会(通称「春フェス」)は、「センバツ」にあたるだろう。ここに出場する学校も、各ブロック大会で選ばれる。ブロック大会で最優秀賞を獲得しても、3年生部員は、次年度の夏に開かれる全国大会には出場できない。だが、年度内に開催される春フェスには、ブロック大会と同じキャストで参加できる可能性が高い。

 演劇に順位をつけることが可能か、いぶかる向きもあるだろう。私はコンクールの審査員として高校演劇の世界に関わることが多いのだが、誤解を恐れずに言えば、そのときの審査員が誰なのかによって評価が変わる方が健全だと考えている。

 全国大会を例にとれば、地区、都道府県、ブロックと、演劇の仲間たちに選ばれて、代表となった12作品は、当然のことながら、いずれも優れた作品だ。どの作品にも観客の心を強く突き動かす力がある。それならば、誰の琴線にどれだけ触れるかは、そのときの審査メンバーの顔ぶれ次第である。

 審査員として名を連ねる者もまた、何をどう評価し、どんなコメントを発するのか、キャスト、スタッフ、観客に審査されている。少なくとも、私はそういう覚悟を持ちながら作品を鑑賞し、その作品からどんな刺激を受け取ったかを、作品を創った演劇部員に伝えることばを探している。

中止が相次ぎ、「総文」はウェブに

愛知県立津島北高校の演劇部。初の全国大会出場を決めた3年生は、あとを下級生に託したが、高知での上演はできなかった=2020年1月、愛知県津島市

 コロナ禍が始まってからの高校演劇の状況を時系列でふり返ってみよう。

 高校演劇は学校教育の中にあるため、文科省や都道府県の高等学校文化連盟(高文連)が出す指針に沿って活動しなければならない。

 2020年2月27日、安倍晋三首相(当時)は、3月2日から全国の小学校、中学校、高校などを春休みに入るまで臨時休校とする考えを唐突に示した。これを受け、2月29日、高演協は3月に新潟市で開催予定だった「春フェス」の中止を発表した。

 各校の自主公演、合同公演、地域の演劇祭も軒並み取りやめとなり、部活動自体もなかなか再開できず、4月になっての新入生勧誘もままならなかったという話を聞いた。

 5月12日、「2020こうち総文」は生徒の移動を伴わないWebで開催されるこ とが発表された。

 演劇部門は、合唱、吹奏楽、郷土芸能など7部門ともに、特設サイト「WEB SOUBUN」にリンクするYouTube に動画をアップロードし、10月まで公開することになった。内容は、高知県で発表予定だった作品に限定せず、過去1年以内に撮影した別の映像でもよい。

 出場予定12校のうち11校が作品を提出し、審査は行われなかった。

 9校は、地元のホール等で、無観客か、関係者のみで上演した舞台を新たに収録して、提出した。埼玉県立川越高校は、ブロック大会の記録映像を観客の反応も含め、そのままアップした。徳島市立高校は新たに「映画」を制作した。青森県立青森中央高校は、県高文連の感染防止ガイドラインによって収録ができず、事情説明とメッセージのみの映像だった。

 YouTubeでの動画配信では、音楽著作権がネックとなり、洋楽が使えないという問題が起きた。京都・洛星高校、愛知県立津島北高校、愛知高校が、音楽使用シーンで音声を消す選択をした。北海道富良野高校は曲の変更を余儀なくされた。全国大会の舞台を踏むことができずに悔しい思いをした部員たちが、不完全な形での配信に甘んじなければならなかったのは無念である。

ばらばらな条件の中で新シーズンが始まった

 8月上旬、関東の高校が集まる「サマーフェスティバル in シアター1010」は中止になり、8月下旬に「こうち総文」の優秀校などが参加する予定だった国立劇場での東京公演も行われなかった。

 例年、全国大会に出場する数校の演劇部を取材したドキュメントと最優秀賞の舞台のノーカット中継をあわせて放送してきたNHK番組「青春舞台」も、今年は取材がままならず、千葉県立松戸高校1校の密着ドキュメンタリーとなった。

 文化祭や学校祭を開催できない高校が多く、校外での公演も含め、演劇部は発表の場を持てない状態が続いた。各都道府県の高文連主催のワークショップも、ほぼ全て中止された。

 それでも、次のシーズンは始まる。

 7月にはもう、2021年8月4〜6日に和歌山県田辺市で開催予定の全国大会(紀の国わかやま総文2021)に向けての地区大会がスタートした。各地の事務局は大会の実施に大変な労力を強いられ、その熱意と努力には敬意を表したい。だが、各地の事情や高文連のガイドラインの違い等によって、参加の条件が大きく異なるという新たな問題が生じている。

 「上演中もマスクかマウスシールドを装着」「俳優同士の直接の接触を避ける」「同時に舞台上にいる人数の制限」など、演出上の規制は、大会ごとに違う。地区大会の中止、逆に、近場の地区大会は実施するが、宿泊移動を伴う県大会は中止など、県ごとの方針もさまざまだ。東京都大会は、関係者だけとはいえ客席に人を入れるため、上演時間をコンクール規定の1時間から40分に短縮したという。

映像での判断、審査員も問われる

2019年の全国大会(さが総文)で講評をする審査員=2019年7月29日、佐賀県鳥栖市
 どんなに厳しい制約があっても、上演できれば、まだ報われる。しかし、秋も深まり、気温が下がって感染が拡大してくると、県大会、ブロック大会の開催そのものが揺さぶられた。関東大会と北海道の全道大会は、映像審査となった。四国大会は年度をまたいだ2021年4月に延期された。

 函館で11月に行われた全道大会の映像審査は、私も審査員として参加した。

 映像だけで作品についてディスカッションするのは初めての経験だった。必死に練習を重ねて創り上げた作品を観るのが審査員と事務局だけで、観客の拍手を受けられない演劇部員たちに、作品評価をどう伝えられるか、審査講評文の重要性を普段以上に痛感した。

 ちなみに、定点カメラで編集なしのロングの映像の方が、舞台全体を見渡すことができ、作品の全貌を把握しやすいのは発見だった。ただ、舞台照明、音響の良し悪しは映像では全く判断できず、スタッフワークに関して講評文で言及できないもどかしさがあった。特に舞台照明は、少し明るめだとハレーションを起こし、陰影が深すぎると暗くて顔が見えない。

 印象だけの講評をしないためには、戯曲の構造を掌握する必要がある。が、戯曲コンクールではないのだから、戯曲だけに重きを置いて判断するのは適切ではない。審査員の見識が、通常のよりもより厳しく問われる審査だった。(続く)

◆〈2〉〈3〉では、2020~21年上演の高校演劇が、「いま」をどう切り取っていたかについて論じます。〈2〉は6月29日正午、〈3〉は6月30日正午公開の予定です。