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初音ミク、ネギが結び、広げる世界〜奇跡の3カ月(4)「Ievan Polkka」は世界を巡る

国境を越えるインターネット・ミームの軌跡

丹治吉順 朝日新聞記者

「初音ミクに出逢う人生だった」〜奇跡の3カ月(3)から続く

【読者のみなさまへ】初音ミクとボーカロイドの文化にはきわめて多くの人々がかかわり、その全容は一人の記者に捉え切れるものではありません。記事を読んでお気づきの点やご意見など、コメント欄にお書きいただけると幸いです。一つひとつにお答えすることはかないませんが、コメントとともに成長するシリーズにできたらと願っています。

ウィーン市が後援する米国の舞踏会で

Googleの共同創業者ラリー・ペイジ氏サーゲイ・ブリン氏をはじめ、米国のリーダー的人材を数多く輩出しているスタンフォード大学(カリフォルニア州)。この名門校に、「ウィーン舞踏会」という約40年伝わる恒例行事がある。後援者(Sponsors)の欄にはオーストリア・ウィーン市の名と市章も見える。

この舞踏会の模様を収めた動画では、シャンデリアの飾られた豪華な会場で盛装した若者たちが社交ダンスを楽しげに踊る様子が見てとれる。そのうちの一つを視聴すると、初音ミクをよく知る人にとっては、聴き慣れた歌声、そして聴き慣れたメロディに気づく。

スタンフォード大学ウィーン舞踏会の模様を記録した動画の一つ

今回の記事の主役はOtomaniaさん。この舞踏会の動画に流れる初音ミクの歌を発表し、その後のさまざまな現象の起点となった。

「インターネット・ミーム」──ネット上の記憶の遺伝子とも呼ばれる小さな文化的符号、それは国境など関係なく地球を自在に巡る。Otomaniaさん制作の初音ミク動画は、それ以前のインターネット・ミームの継承地点であり、同時に新たなミーム発散の場ともなった。

瞬発力だけのノリだった

発端は、MSNメッセンジャーを使った仲間内でのやりとりだった。

Otomaniaさんが友人から「こんなソフトが出るらしいよ」と、初音ミクを教えてもらったのが2007年8月末。製品ページに載っていたデモソングの流暢な歌声に衝撃を受け、発売日前日の8月30日に通販サイト・アマゾンで予約、翌日に手元に届いた。(この「アマゾンで届いた」点にも無視できない側面があるのだが、語り切れないので別の回に譲る)

入手した日は、おかしな替え歌を歌わせて、メッセンジャーでつながった仲間たちに聞かせ、笑いをとっていた。

すぐにその仲間の一人から「友達が、初音ミクの声をぜひ聞きたいと言っている」と伝えられる。ほとんど知らない相手だったので、あまり無茶苦茶な歌詞は聞かせられない。思いついたのが、フィンランドのボーカルグループ「ロイツマ」が歌う同国の民謡「Ievan Polkka(イエヴァン・ポルカ)」だ。

伴奏もつけないアカペラで、歌詞は特に意味のないスキャット。制作時間は30分ほどだったろう。メッセンジャーで聴かせてみると、全員に大受けだった。仲間の一人でイラストを描く「たまご」さんも盛り上がって、その場で1枚のイラストを送ってきた。これも30分ほどの即興だった。

それが、現在「はちゅねミク」として知られる三頭身にデフォルメされたおマヌケなミクの原型だ。そのイラストに、集まった仲間たちはまたしても爆笑した。

「勢いでしたね。お互い、瞬発力だけのノリでした」

当時、Otomaniaさんはフラッシュを使った動画をよく作っていた。MSNメッセンジャーはフラッシュ仲間御用達のようなツールでもあった。(フラッシュという技術に関しては後述)

「このミクを動画にしたら面白いんじゃないか」。これもその場の勢いで思いつく。もちろん曲は「Ievan Polkka」以外ありえない。動画の構想をすぐにまとめて、たまごさんに原画を依頼し、Otomaniaさん自身は伴奏のオケ作りに入る。

最初はネギを持っていなかった

実は、最初にメッセンジャーでたまごさんが伝えてきたデフォルメのミクは、ネギを持っていなかった。

「でも『Ievan Polkka』ならネギだろうと、動画を作るときに考えたんです」

初音ミク登場以前から、「Ievan Polkka」=ネギというのが、インターネット、とりわけフラッシュ界隈のお約束だった。

ロイツマが「Ievan Polkka」を発表したのが1995年。その後の2004年に、日本の人気漫画「BLEACH」のアニメが公開される。アニメ第2話で、ヒロイン・井上織姫が主人公・黒崎一護に買い物帰りに出会った際、買った長ネギを照れ隠しにくるくる回すユーモラスな場面がある。

ロイツマによる「Ievan Polkka」。転載動画だが、楽曲著作権管理団体によるライセンス表示がある

フィンランド民謡と日本のアニメ、何の関係もなかったこの二つを、2006年春ごろ、どこかの国(ロシアという説が有力だ)の誰かがフラッシュを使ったパロディ動画(いわゆるMAD)として組み合わせた。このMADがネットを通じて世界中で爆笑をとり、「ロイツマ・ガール」「リーク(ネギ)スピン」などの名で広く知られるようになる。

元はフラッシュ作品だった「ロイツマ・ガール」のYouTubeへの2006年9月の転載動画

Otomaniaさんの初音ミクが歌う「Ievan Polkka」の動画は、この「ロイツマ・ガール」のミームを受け継いでいた。

たちまち確立された「初音ミク=ネギ」のお約束

当初、Otomaniaさんは「ロイツマ・ガール」と同じく、ネギをくるくる回転させるつもりだったが、たまごさんの送ってきた原画では上下に振る形になっていた。「ロイツマ・ガール」と振り方が違うのはそのためだ。

仲間たちとメッセンジャーでやりとりしたのが9月1日。翌2日には伴奏を含めた音楽と動画が完成し、3日午前9時過ぎに最初のバージョンを投稿する。もっとも、手直ししたい部分が見つかったので、このバージョンは削除し、4日に改めて投稿し直した。この4日の投稿が、いまニコニコ動画上で視聴できる「Ievan Polkka」だ。

VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた

この動画「Ievan Polkka」は絶大な反響を呼んだ。「はちゅねミク」と名付けられた三頭身のミクは、その後さまざまに生まれる初音ミク亜種や派生モデルの先駆けとなり、「初音ミク=ネギ」という定番化を生んだ。加えて、ボーカロイドエンジンを使った新しい歌声合成ソフトが世に出るたび、ネギとはまた別の「お約束の持ち物」を考えるのがファンの楽しみの一つになった。

こうして、フラッシュ動画「ロイツマ・ガール」で生まれたミームは、フラッシュユーザーであるOtomaniaさんの初音ミクが歌う「Ievan Polkka」を通して、新たな、しかも強力なミームを生むことになった。

この連載第2回で紹介したazumaさんが初音ミクを購入する強い動機になったのはこの動画だ。また、前回紹介した「みくみくにしてあげる♪」は、この「Ievan Polkka」の約半月後に登場したが、その歌詞の冒頭「科学の限界を超えて私は来たんだよ ネギはついてないけどできれば欲しいな」には、この動画の影響が直接表れている。そのほかにも、歌詞や動画にネギを織り込んだ作品がこのあと数え切れないほど投稿されるようになる。

初音ミクたちの文化をベースにした人気スマートフォンゲーム「プロジェクトセカイ」の一コマ。主要登場人物の一人・日野森志歩がネギに言及している初音ミクたちの文化をベースにした人気スマートフォンゲーム「プロジェクトセカイ」の一コマ。主要登場人物の一人・日野森志歩がネギに言及している

ごく最近の例では、初音ミクたちバーチャルシンガーの文化をベースにした人気スマートフォンゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」の主要登場人物・日野森志歩の上のようなせりふにもさりげなく反映されているといえるかもしれない

現実世界にもあふれ出すネギ

ネットを飛び出した現実世界に影響を与えている例としては、2013年以来、毎年恒例になっている初音ミク最大の公式イベント「マジカルミライ」もそれに当たるだろう。コンサートに加えて、初音ミクたちをめぐる創作文化を一堂に展示する祭典的な位置づけだ。海外からの来訪者も、年々増えている。

そのマジカルミライの来場者向け注意事項に、こんな一文がある。

「生ネギの持ち込みはご遠慮ください」

もっとさかのぼれば、2007年冬のコミックマーケット(コミケ)でも同様の禁止事項が生まれていたらしい。

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