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小林亜星さんについての冷たい思い込みとその理由と反省と

矢部万紀子 コラムニスト

小林亜星さんを無意識のうちに避けてきた

 私が小林さんを知ったのは中学時代、ドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年、TBS系)だった。が、このドラマ、見ていない。母親がうるさい人で「テレビは夜8時まで」と決められていて、午後9時からの「寺内貫太郎一家」は見られなかった。クラスでは話題になっていたが、適当に話を合わせることはできた。

 ちなみにだが、中学生の私には、山口百恵さんの「赤いシリーズ」(これも午後9時から、TBS系)を見られない方が深刻な問題だった。「寺内貫太郎一家」よりずっとクラスで盛り上がっていたから疎外感もあり、見たいなーと思っていた。その点、「寺内貫太郎一家」を見たいと思ったことはほとんどなかった。

 大学を卒業して一人暮らしを始めてからは、制限された反動だろうか、家にいればずっとテレビをつけている大人になった。中でも出勤のリズムと合ってよく見るようになったのが、NHKの「朝ドラ」。出来不出来があるし、好みもある。結果、最後まで熱く見るシリーズと、途中で流すシリーズに分かれた。

 小林さんが出演した「さくら」(2002年)は後者だった。ハワイ出身の日系4世がヒロインで、小林さんはその祖父。金魚の養殖業を営んでいるという役どころだった。東京の下町、法被を着ている、頑固だけど実は優しいなどなど、これはきっと寺内貫太郎の亜流なのだろうなと思い、流し見していた。

 と、ここまででわかっていただけると思うが、私は俳優・小林亜星に冷たい。そのことは自覚していたが、なぜなのだろうと詰めて考えたことはなかった。が、訃報に接し、思い出したのが小学校4年生の時の体験だった。

小林亜星さん=東京・赤坂、品田裕美撮影拡大小林亜星さん=撮影・品田裕美

 親が中古住宅を購入、転校した。先ほど書いたように、太っていた。超肥満児ではなかったが、体重に存在感があったから、うっすらとしたいじめに遭った。「やーいデブ」とは言われなかったが、何となく笑われている、その空気は感じていた。

 決定的に傷ついたのは、図工の時間にある男子が私の絵を描いたことだった。

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筆者

矢部万紀子

矢部万紀子(やべ・まきこ) コラムニスト

1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長をつとめた後、退社、フリーランスに。著書に『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)、『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)。最新刊に『雅子さまの笑顔――生きづらさを超えて』(幻冬舎新書)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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