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「寄席版歌舞伎」芝居噺の唯一の演じ手・林家正雀~「彦六の正蔵」ゆずりの芸

トーキョー落語かいわい【7】人情噺の最高潮で書き割りを背に見得を切る伝統芸の魅力

鶴田智 朝日新聞社財務本部グループ財務部主査

先代正蔵の最後の弟子になった正雀

 正雀が先代正蔵に弟子入りしたのは、師匠が数え年で80歳の時だったといいます。通っていた日大の卒業をひかえた1974年2月に弟子入りしたので、芸歴47年になります。当時、上に10人弟子がいて、最後の弟子になりました。

 正雀の著書『正雀 芝居ばなし』(立風書房)には、「日大の学生時代に、初めて師匠彦六(当時正蔵)の芝居噺を聴いたときに、一人で噺もやれば芝居もやる、こんな素晴らしい芸があるのかと」思ったと書いています。

 正雀はもともと芝居が好きでした。別の著書『師匠の懐中時計』(うなぎ書房)によると、入門前、師匠正蔵を追いかけて「一度道具をかざった芝居噺を見てみたいと思って」いました。

拡大怪談芝居ばなしを夏場の出し物にして40年。楽屋で『真景累ケ淵――新五郎捕物の場』の型をみせる八代目林家正蔵(彦六)=1964年(朝日新聞撮影)
 1973年の春、正雀は念願かなって彦六の芝居噺を初めて見ます。

 「道具をかざってですから、もう芝居好きとしてはたまらなかった」といいます。人情噺で、鳴り物が入っての立ち回りがあり、「その上、雪まで降らせるので、ゾクゾクするほど感激」したそうです。そして「入門するのならば、この師匠」と心に決めたのでした。

 余談ですが、筆者が子どもの頃に見た映画に「妖怪百物語」(1968年)という大映映画がありました。江戸時代が舞台で、様々な妖怪が現れます。この映画の中に怪談を語る噺家が登場しますが、なんとそれが「彦六の正蔵」なのです。

 何年か前に発売された「妖怪百物語」のDVDを見ました。ちょんまげのカツラをつけ、羽織を着て怪談を語る先代正蔵を見て、時代劇の映画にすっかりはまった佇(たたず)まい、語り口に、筆者は思わずうなりました。

師匠ゆずり、得意は人情噺や怪談噺

 弟子の正雀も、師匠同様、人情噺や怪談噺を得意にしています。

 怪談噺は説明不要でしょう。三遊亭円朝作の「怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」などが有名です。

 人情噺とは、元々、落ちのない筋のある続き話をさし、「鑑賞の主眼はあくまで写実的な」人物の描写(『新版三遊亭円朝』、青蛙房)とされますが、人情味があってしみじみと聞かせる噺一般についてもいうようになりました。口演の時間をたっぷりと取る噺が多いようです。

 「牡丹灯籠」のような怪談噺も、人情噺の中に含むといわれています。

拡大八代目林家正蔵(右、「彦六の正蔵」)に、覚えた噺を聞いてもらっている前座時代の林家正雀。演目は「金明竹」で、場所はいわゆる稲荷町の長屋。1974年だという=正雀のツイッターから

年月の重みを感じる正雀の高座

 筆者も歌舞伎をよく見に行くので、正雀の芝居噺が気になっていました。仕事の休みとタイミングが合った16年3月、国立演芸場で芝居噺の会をようやく見ることができました。

 正雀は、約50分かけて「双蝶々(ふたつちょうちょう)雪の子別れ」という人情噺を口演。この噺「双蝶々」では、悪の道に染まった息子と父母の別れが描かれます。そして、若き日の正雀が初めて見た、師匠正蔵の芝居噺の演目でした。

 この時の高座では、ラストの何分間か、背後の大きなふすま状の壁が開き、そこに雪景色の江戸の風景が現れました。隅田川でしょうか、大きな川と左右の川岸の絵が描かれている。その前に膝立ちになった正雀は、立ち回りの動きも見せ、無地の着物をさっと脱いで、別の縦縞の柄の浴衣姿になりました。歌舞伎でいう「引き抜き」を思わせる動きです。天井からひらひらと、芝居の雪も舞ってきます。三味線のほか、チョンチョンと柝(き)の音も入り……。「東西、双蝶々、まーずこれまで」と語り終えて幕切れでした。

 元日大教授、永井啓夫の著書『新版三遊亭円朝』(1998年、青蛙房)は「双蝶々雪の子別れ」について、「円朝によって完成され、人情噺、芝居噺の典型として一朝を通じ林家彦六や正雀に伝えられた」と記しています。正雀の名があります。

 しかも、ここで触れられている「一朝」とは円朝の弟子なので、今も「大円朝」と呼ばれる落語中興の祖、江戸・明治期を生きた円朝の伝統の一端を、正雀は現代に脈々と伝えていることになります。

 円朝以来の伝統、師匠から弟子へと伝えられる古典芸能のありようを改めてかみしめながら正雀の高座を見ると、背後に年月の重みをずしりと感じる気がします。


筆者

鶴田智

鶴田智(つるた・さとし) 朝日新聞社財務本部グループ財務部主査

1984年朝日新聞社入社。地域面編集センター次長、CSR推進部企画委員、「声」欄デスク、校閲センター記者を務める。古典芸能にひかれ、歌舞伎はよく観劇、落語は面白そうだと思えばできるだけ見に行く。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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