三浦俊章(みうら・としあき) ジャーナリスト
元朝日新聞記者。ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長、編集委員などを歴任。2022年に退社
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
詳細な文献調査、膨大な未公開メモに基づく本格評伝から見えてくるもの。
49年前のちょうど今頃。1972年7月5日、自民党総裁選の会場となった日比谷公会堂は異様な熱気に包まれていた。かたや高等小学校出のたたき上げで、「今太閤」「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた田中角栄。かたや東大、大蔵省とエリート街道を突き進んできた大秀才の福田赳夫。国民注視の大接戦は決選投票にもつれ込み、田中に軍配が上がった。
この宿命のライバルは70年代を通じて「角福戦争」を繰り広げる。カネと数に優る「田中軍団」の前に決定的局面で敗北を重ねた福田には、「敗軍の将」のイメージが強い。しかし、福田は単なる「敗者」だったのか。福田は何を目指していたのか。福田が日頃つけていた未公開の膨大なメモに基づく伝記が刊行され、福田赳夫像の見直しが始まった。
6月25日に刊行された『評伝福田赳夫』(井上正也・上西朗夫・長瀬要石、監修・五百旗頭真、岩波書店)は、手に取るとずしりと重い。680頁に及ぶこの伝記は、よくある政治家本とは違う。福田の誕生から死までをまんべんなく扱い、詳細な文献調査に加えて未公開の「福田メモ」を使った、現時点で最高水準の評伝だ。
執筆には、福田政権を研究してきた政治学者と生前の福田をよく知る元新聞記者と元官僚が共同作業で取り組んだ。政治家の伝記的研究を学問として打ち立てている英米の水準に迫る労作が、戦後日本の政治家についても出たということだろう。
まず、福田赳夫の生涯について簡単に触れておく。1905年(明治38年)、群馬県で代々町長を出す豪農の家に生まれた。第一高等学校、東京帝大法学部と進み、大蔵省に入ってすぐにロンドン駐在を命じられるなど、超エリートコースを歩む。
戦後は主計局長時代の1948年に疑獄事件に連座(58年に無罪確定)したのをきっかけに政界に転身。保守政界の実力者、岸信介に重用され、自民党の政調会長、幹事長を務め、佐藤栄作内閣でも蔵相、外相を務めた。佐藤後継として本命視されながらも、急速に勢力を伸ばした田中角栄に1972年の自民党総裁選で敗れる。
1976年にようやく首相の座に就くが2年後、今度は田中角栄の全面支援を受けた大平正芳に総裁選で敗北を喫し、首相の座を去った。その後は、西ドイツのシュミット元首相らとともに、各国の元老クラスの政治家を集めたOBサミットを組織して熱心に活動し、核軍縮や人口問題、資源問題などについて提言を行った。90年に政界を引退、95年に90歳で死去した。
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