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陛下と雅子さまの五輪への懸念と奨励は、正直パワーという広報戦略

矢部万紀子 コラムニスト

 天皇、皇后両陛下が1日、日本オリンピック委員会と日本パラリンピック委員会に宮内庁を通じ金一封を贈った──7月2日、朝日新聞がそう伝えていた。わずか7行の短信だったが、読んだ瞬間、こう思った。令和のお二人の広報戦略が見えてきた、と。

宮内庁の西村泰彦長官宮内庁の西村泰彦長官
 タイミングが絶妙だった。西村泰彦宮内庁長官が「オリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大に繫がらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察しています」と定例会見で発言したのが6月24日だったから、ちょうど1週間。朝日新聞は「日本選手団を奨励するため」と報じていた。

 懸念と奨励。宮内庁から発信された二つの情報を合わせるなら、陛下の思いはこういうことになる。「感染拡大は心配しています。でも、選手には頑張ってほしいです」。こうとも言える。「五輪の運営については懸念しています。でも五輪そのものはリスペクトしています」。

 多くの国民の胸の内に重なる言葉だと思う。懸念と奨励を抱え、葛藤している人が大勢いる。「安心、安全」といくら言われても、全く腑に落ちないから葛藤している。陛下も同じ気持ちなのだと思えてくる。国民と気持ちを共有し、共有しているということをシンプルに伝える。それが令和のお二人の広報戦略なのだと思う。

 ちなみに「金一封」については、5年前のリオデジャネイロオリンピック、パラリンピック(以下「五輪」とする)でも上皇陛下(当時は天皇陛下)が6月末に贈っている。だからそれ自体は五輪恒例であり、計算したものではない。それでも宮内庁長官の「拝察」からの流れに「いいぞ、いいぞ」と思った。陛下は広報を得意としていない。勝手にそのように拝察していたからだ。

園遊会で、リオ五輪の福原愛さんらメダリストたちと話す、天皇、皇后両陛下=20日午後2時36分、東京・元赤坂の赤坂御苑、2017年4月20園遊会で、福原愛さんなどリオ五輪のメダリストたちと話す天皇、皇后両陛下(当時)=2017年4月20日、赤坂御苑

真面目さが広報の妨げになっていた

第35回国民文化祭・みやざき2020と第20回全国障害者芸術・文化祭みやざき大会の開会式にオンラインで出席した天皇、皇后両陛下=2021年7月3日午後3時、赤坂御所、宮内庁提供第35回国民文化祭・みやざき2020と第20回全国障害者芸術・文化祭みやざき大会の開会式にオンラインで出席した天皇、皇后両陛下=2021年7月3日、赤坂御所、宮内庁提供

 陛下というより、陛下と雅子さまのお二人は、広報が苦手だと思っていた。始まりは平成、雅子さまの適応障害という病にある。なぜ公務はできないのに、外出はできるのか。子育てばかり優先しているではないか。そんな批判が力を得ていた。それに対し、お二人はほとんど沈黙していた。雅子さまの回復を最優先していたのだと今なら思えるが、当時は病気のことをわかった上で、国民にわかりやすく説明する広報が必要なのに、と歯痒い思いがしていた。

 真面目だからなのだ。そう思うようになったのは、平成から令和への代替わりの頃だ。雅子さまの公務が増え、その表情はどんどん明るくなった。回復が明らかになり気づいたのが、お二人の好きな言葉「研鑽」だった。平成最後のお誕生日(2018年12月9日)にあたって雅子さまが文書の中で使い、陛下は即位後朝見の儀の「おことば」で使った。努力の先にまだある努力。そんな感じがして、お二人は似た者夫婦なのだと思ったりした。

 が、広報という点から見ると、これが妨げになっているのだなと感じていた。はみ出したり、自分を見せたりすることは、良くないこととお二人は感じている。それが真面目さとわかっても、心をグッとつかまれる感じにはならない。

 その典型が、新型コロナウイルスへのメッセージだ。最初の緊急事態宣言が出た2020年4月から期待する声もあったが、陛下がそれを公表したのは21年1月1日。例年なら「新年のご感想」(1日)が公表され、一般参賀(2日)で「おことば」を述べる。一般参賀がコロナ禍で中止になったことに合わせ、「ご感想」のタイミングでの公表とする。その説明を知って、しみじみとした気持ちになった。

 憲法は天皇について、「国政に関する権能を有しない」と定めている。天皇の“命令”で戦争を招いたという反省からの「国民主権」があり、天皇は政治的事項に関わらない。事はウイルスだが、陛下は憲法に忠実と決めたのだろう、なんて真面目なのだと改めて思ったのだ。

 メッセージもそうだった。

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