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つかドラマ、成功の秘密は「臆さない注文」

『つかこうへいのかけおち'83』⑦

長谷川康夫 演出家・脚本家

 つかこうへい脚本のテレビドラマ『かけおち'83』で筆者は、北条家の一人娘セツ子(大竹しのぶ)の恋人「康夫」を演じた。29歳で定職もない康夫は北条家に5年も同居している。ぐずぐずと結婚を先延ばしにしているところに、セツ子に見合い話が持ち込まれる。相手は成功した実業家で美男の「萩原」。揺れる心でセツ子は、康夫に「かけおち」を提案し、二人は京都へ向かい……。銀河テレビ小説で全5回放送されたこの作品を通して「つかこうへいの世界」を考えるシリーズ、終盤です。

贅沢な配役、脚本への注文

 映像化されたつかこうへい作品の中で、とりわけ成功したものが1983年のNHKドラマ『かけおち'83』である――との、独りよがりな思い入れを、前回までしつこく書いてきた。

 何よりそれが、大竹しのぶを筆頭とするキャスティングの勝利だったということも繰り返したが、忘れてはならないのは、沖雅也演ずる萩原の運転手、松田として登場する平田満だろう。

 このドラマの中で松田の出番はそう多くない。

平田満
 セツ子と萩原の見合いの場の駐車場で康夫と知り合い、彼を自分と同じく北条家の運転手と思い込んで連絡先を交換するという設定で、その後も絡むのは電話も含め、康夫とだけである。萩原のセツ子への切なる思いを伝えたり、セツ子に付き合っている男がいるらしいとの噂を確かめたりして、康夫を動揺させるのだ。

 つか芝居の申し子とも言うべき存在であり、映画『蒲田行進曲』のヤス役で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いたばかりの平田は、本来ならこの作品でも、大竹しのぶの相手役を務めるのにふさわしい俳優だったろう。NHKもそれを望んでいたかもしれない。

 そんな平田がどこかコメディリリーフ的な役回りとして、物語の要所要所にチラリと登場してみせるだけなのだから、今思えばかなり贅沢なキャスティングで、そんなところもまた、このドラマの成功に繋がったのだと僕は思う。

 そしてもうひとつ、大きな要素がある。それはNHKサイド、つまりプロデューサーの村上慧、ディレクターの松岡孝治が、臆することなくつかこうへいのドラマ作りに注文を出したことだ。これは僕の知る限り、つかが携わったいくつかの映像作品の中では、極めて珍しいケースだったはずだ。

 実際、それまでもそしてこの後も、たいていの作品で、プロデューサーや監督、演出家などが、つかの思いつくままの芝居作りに圧倒され(リハーサルを手がけた場合はとくに)、そこから生まれる脚本を無条件に受け入れてしまうばかりで、自らの意見をぶつけるようなことは、ほぼなかったのではないか。

 でなければ逆に、監督などがつかからの作品への働きかけをうとましく思い、自分たちなりに脚本を変更し、つかこうへいの描こうとする世界とはズレが生じてしまった映画などもあった。

 どちらにせよ不幸なことで、つかの映像化作品の多くが、僕などには今ひとつ納得できないものになってしまったのは、そんなところに理由のひとつがあるような気がする。

つかは驚くほど素直で潔かった

 『かけおち'83』ではリハーサルを経る中で、撮影段階の「決定稿」に至るまで、改訂された台本が何稿か新しく印刷された。松岡によると、この手のテレビドラマでは異例のことだったという。

NHKディレクターの松岡孝治。大河ドラマ『毛利元就』や『大地の子』など、数々のドラマを演出した=1996年撮影
 もちろんそれは、つかが〝口立て〟稽古によって、脚本に様々な形で手を加えていくからだったが、そんなつかの進めるドラマの展開を、村上や松岡たちがやすやすと納得せず、途中途中で幾度か変更を求めたためでもあった。

 そしてそんな彼らからの要求があると、つかはいらだちを見せることもなくじっと考え、ほとんど受け入れてみせた。それはちょうど、映画『蒲田行進曲』の初稿に対し、監督の深作欣二から要望や提案をこまかく書き連ねた手紙が届いたとき、すべてそのままに書き直したのとよく似ていた。

 いかにも傲慢で、他人の意見を聞く耳など持たないように思われがちのつかだが、相手の力量を認め、自分にはないものがあると判断したときの対応は、驚くほど素直でいさぎよい。そしてそうなったとき、さらなる力を発揮するのがつかこうへいだった。

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