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【公演評】星組『婆娑羅の玄孫』

宝塚男役の至宝・轟悠が、重鎮・植田紳爾によるあて書き作で有終の美を飾る

さかせがわ猫丸 フリーライター


 星組公演 戯作『婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)』が、7月9日、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで幕が開きました。(15日まで。7月21日~29日/東京芸術劇場プレイハウス公演)。

 長きにわたって宝塚歌劇を牽引してきた専科・轟悠さんの集大成となる最後の舞台が始まりました。宝塚の重鎮・植田紳爾先生による脚本・演出には、これぞ轟さん! と言いたくなる魅力がぎっしり詰め込まれています。

 爛熟期の江戸を背景に、専科の汝鳥伶さん、星組生25名とともに、波乱万丈な男の人生を痛快に描き、轟悠が有終の美を飾りました。(以下、ネタバレがあります)

轟の魅力はやはり和もので

 轟さんは71期生。同期には愛華みれさん、真琴つばささん、稔幸さんらが名を連ねる華やかな期でもあります。1997年から2001年まで雪組のトップスターを務めたのち、専科へ異動。従来の脇をしめる渋い役どころではなく、主演を張るスター専科としての所属は、宝塚初の試みでもありました。それからは5組すべてに出演し、大劇場をはじめ、梅田芸術劇場やドラマシティなど多彩な劇場で主演を果たし、20年近く宝塚の中心で活躍し続けてきました。

 彫刻のような美しいマスク、重低音の美声、重厚な演技、タカラジェンヌとしての姿勢はまさに男役の鑑で、すべての生徒にとってのお手本となったに違いありません。

 そんな轟さんのラストステージは、やはり人情あふれる和ものでしょう。轟さんのために書き上げられた、強さと優しさを兼ね備えた熱血正義漢は、最もふさわしい役どころとなりました。

――江戸時代。神田稲荷町のなめくじ長屋に住む細石蔵之介(轟)は、子どもらに勉学を教えるなど、よろず指導で細々と生きていた。その素性は、室町幕府設立の立役者「婆娑羅大名」佐々木道誉の子孫・高久だったが、13歳の時、突然、廃嫡されたのだ。佐々木家の用人・小久保彦左(汝鳥)は今もそばにいながら、その理由については固く口を閉ざし、蔵之介は父への遺恨と恋慕のはざまでもがき苦しんでいる。それでも蔵之介は、悪行を繰り返す旗本奴らをこらしめるなど、胸のすく活躍は町でも噂でもちきりだった。

 蔵之介は佐々木家当主の次男である素性を隠していましたが、学問や剣術、歌道や茶道、論語にも精通し、加えて正義感も強い、正真正銘のスーパースターでした。蔵之介のにじみでる優しさと強さ、あふれ出る余裕とたのもしさは、まさに轟さんそのもののようです。長屋のみんなから「石さん」「石先生」と呼ばれ慕われていますが、轟さんのふだんの愛称「いしさん」と連動させているのも、あて書きらしいところでしょうか。

 蔵之介もひたすら完璧なだけではなく、理由も言わず突然勘当した父親に対しては、拗ね続けてこじらせているのが、人間味あふれて憎めません。常に凛々しく男らしいのに、時々のぞかせるお茶目な素顔がまた、轟さんらしい魅力の一つでもあるのでした。

◆公演情報◆
『婆娑羅の玄孫』
2021年7月9日(金)~7月15日(木)  梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
2021年7月21日(水)~7月29日(木)  東京芸術劇場プレイハウス
公式ホームページ
[スタッフ]
作・演出:植田紳爾

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筆者

さかせがわ猫丸

さかせがわ猫丸(さかせがわ・ねこまる) フリーライター

大阪府出身、兵庫県在住。全国紙の広告局に勤めた後、出産を機に退社。フリーランスとなり、ラジオ番組台本や、芸能・教育関係の新聞広告記事を担当。2009年4月からアサヒ・コム(朝日新聞デジタル)に「猫丸」名で宝塚歌劇の記事を執筆。ペンネームは、猫をこよなく愛することから。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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