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荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』──兌換紙幣の言葉と不換紙幣の言葉

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

心を蝕み、社会まで壊していく「破壊された言葉」

 振り返ってみれば、この「神保町の匠」を含めて、時折「論座」に書く機会を与えていただき、駄文を載せるようになってからかれこれ7年になるが、そのいちばん最初の記事が、まさに「為政者の言葉」というタイトルで(「為政者の言葉──曽我逸郎著『国旗、国歌、日本を考える──中川村の暮らしから』編集余話」2014年5月17日)、それ以来書いた記事の多くは、このテーマに帰結するものといっていい。一編集者として、もし安倍晋三という政治家の存在を認めてしまったら、それはもう「言葉」を扱う者としてその資格を失ってしまうだろう、とまで思い詰めたことさえあった。

 実際、安倍政権以降、不用意には使えなくなった、あるいはおかしな意味に限定されてしまった言葉は数知れない。たとえば「忖度」という言葉。

 仮に〈母親の気持を忖度する〉という一文を置いてみる。そこに広がる豊かな奥行、複雑な響き……それを伝えることのできたはずの日本語が「忖度」という言葉であったはずだ。そして本来の「保守」とは、そういうことを大切に考える人たちの謂いではなかったか。

 それがいまはどうだろう。この言葉はすっかり社会の悪役である。

「忖度」はまんじゅうにも流行語大賞にもなった拡大「忖度」はまんじゅうにも流行語大賞(2017年)にもなった

 「お約束と異なる新しい判断」とは消費税を据え置きにした際の安倍のセリフだが、それはやはり自民党がTPP(環太平洋パートナーシップ)反対を唱えながら、いとも簡単にそれを覆したのと同等で、それはどう恰好をつけようと、「約束違反」でしかない。また「桜を見る会」の件では、「募集はしていたが募ったつもりはなかった」という支離滅裂なレトリックを生んだが、これに至っては、言語の、いや理性の崩壊と言わざるを得ない。

 また、これは安倍以前、小泉純一郎内閣のときのことであるが、「自己責任」という言葉。これは本書にも取り上げられているが、発祥は2004年に出来したイラク日本人人質事件の折だったと思う。イラクの武装勢力に誘拐された3人の日本人に対して、〈日本人が〉発した言葉、それが「自己責任」であった。

 けれども当時の状況を振り返ってみれば、それはどちらかといえば「自業自得」、あるいは「身から出た錆」という言葉で置き換えられるニュアンスが濃かったのではないか(それだってずいぶんお門違いな話だが)。しかしそこに貼られた「自己責任」という、まるでホームルームに教室に貼られるお題目のような言葉は、〈レッテル〉としてその後大きく育つことになる。そして、政治は国民の生活を守らなくていいという〈護符〉として、社会全体をも変えてしまう役回りまで負わせられることになるのだ。

 言葉は知らぬ間に浸透していく。そして「破壊された言葉」は知らぬ間に人々の心を蝕み、社会まで壊していく。そして今となってはもう「言葉もない」状態にまで届いているのは、菅首相の会見の様子を見れば明らかだろう。

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筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです