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荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』──兌換紙幣の言葉と不換紙幣の言葉

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

「不換紙幣」を摑まされたわれわれは……

荒井裕樹拡大荒井裕樹さん(二松学舎大学准教授)

 ところで、著者が文中しばしば、「文学者」として自己を規定する箇所に出会うたびに、ある種新鮮な感触を覚えた。大学で教える著者の専門分野である「障害者文化論」という言葉にも、初めて出会った気がする。

 このようにして社会の中にフィールドを持ち、そこから「文学」を考えるというアプローチは、いまの学会の中では珍しいのか、あるいはポピュラーなものであるかは知らない。けれども往々にしてテクスト・クリティックに終始しがちな文学研究と社会とを結びつけるこの方法は、今後重要になってくるように思う。

 考えてみれば、なかなか「言葉」にまとまらないこと、簡単には要約できないことを、作品全体で表出しようとする試みこそが「小説」の役割といっていい。次はぜひ、この著者の視点をもって戦後文学を読み解くような論考を読んでみたい。

 それにしても……としつこくもまた冒頭の問題に戻ってしまうのは、オリンピック開幕を間近に控えて、コロナ感染者が急増するなか、それでも強行しようとする政権、および組織委員会を見るにつけ、「言葉の壊れ」に目をつむってきたツケを、こんな形で払わされようとは、思いもよらなかったことにもよる。

 「安心安全なオリンピック」というお題目を壊れたレコードのように称(とな)えるほかないわが国の首相、内閣官房やそれを取り巻く政治家たちの口からは、一体どこの仮想世界を見て物を言っているのだろうか、という言葉しか聞くことができない。

 「兌換紙幣」の反意語は「不換紙幣」だが、政府が発行する不換紙幣がまさに紙屑に等しいものだと気づいた時に、それをしこたま摑まされたわれわれは、おそらくもう引き返すことの出来ない崖っぷちに立っている。

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筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです