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国家の非常事態、トップは何をなすべきか

中国「清」の雍正帝に見るリーダー像【上】

阿部修英 テレビディレクター

 危機と向き合う時、政治指導者はどうあるべきか。中国・清の雍正帝(ようせいてい、1678~1735)の姿勢は一つのヒントになるかもしれません。実情を厳密に把握し、財政を再建。中央と地方の情報共有を密にする。公文書の保存と公開を徹底し、「品格」を重んじる。まるで、現代日本の政権に欠けているものばかり集めたよう。その生涯を追うドキュメンタリー番組を作り、舞台劇『君子無朋(くんしにともなし)』も書いた阿部修英さんが、その猛烈な仕事ぶりをつづります。

300年前、中国にすごいリーダーがいた

 沈黙は、「金」ではない。特に、リーダーであるならば。

 雄弁も、「銀」ではない。実践を、伴わなければ。

 昨年来つづく非常の時。首相、知事、市長など「リーダーの言葉」を聞く機会が増えた。

 しかし言葉「だけ」では不十分。ニュースを眺める人は思ってしまいがちだ、「また●●大臣が“何か”話しているよ」と。口をどれだけ動かしても、「失言」でもしない限り、慣れぬ言葉に疲れた人々の耳を、言葉は通り抜けてしまう。

 そう、リーダーは、「口」で話すだけ、「耳」で聞くだけでは足りない。言葉の表すものをしかと「目」で見つめ、実際に「手」を動かしてみせねば。忙しいリーダーがそんなこと無理? イヤイヤ。かつてそういうリーダーが実際にいたのだ。今からおよそ300年前、日本は徳川吉宗の時代に。お隣の、中国に。

 ―――その名は、雍正帝。時の王朝「清」、大清帝国の皇帝だ。

北京・紫禁城に立つ佐々木蔵之介=2020年初頭
 テレビのディレクターである私が、旅人に俳優の佐々木蔵之介さんを迎え、雍正帝についての歴史番組(「中国王朝 過労に倒れた専制君主・雍正帝」NHK-BSプレミアム)を作るため中国を旅したのは、2020年の初頭。その帰国からまもなく、今の非常が始まった。

 そしてそれから更に1年半、いまだに非常事態が続く2021年の夏。思うのは、「雍正帝がいまの世にいたら」ということ。何故なら彼こそまさに、「非常事態」にひたすら向き合い続けたリーダーだから。

 授業で習う時は「中国最後の王朝」と枕ことばがつくことの多い「清」こと大清帝国。映画「ラストエンペラー」で知られる、近現代の非常事態のなか波乱の運命を過ごした宣統帝溥儀(ふぎ、1906~67)は、この大清帝国の最後の皇帝だが、そもそもこの国は、誕生からずっと、「非常事態」が続いていた。

康熙・乾隆に挟まれた、ちょっと地味な「5代目」

 北方の少数民族・満族の王家(愛新覚羅家)が何十倍もの人口を持つ漢族(漢民族)を「力」で治める形で生まれた清。漢族には満族を「野蛮人」と蔑む者も多い。いつ反乱が起きてもおかしくない。この民族問題と人口バランスのいびつさは、リーダーたる皇帝に、漢族も認めるだけの圧倒的な「格」を求めた。

 『蒼穹の昴』をはじめ、大清帝国を舞台にロマン溢るる小説を描いてきた作家の浅田次郎さんに、大清帝国の、他の王朝との最大の違いは何だと思いますか? と問うたことがある。

 浅田さんの答えは、「これといった暗君がいないこと」。

 たしかに父始皇帝の功績を一代で潰した秦の2代皇帝・胡亥(在位紀元前 210~207)や、国家財政の半分近くを浪費し国の命運を傾けた明の第14代皇帝・万暦帝(在位1572~1620)のような“ダーケスト”な暗君はいない。そして逆に、中華の長い長い歴史でも、皇帝を務めた期間ナンバー1、ナンバー2を輩出している。

 ナンバー1が大清帝国第4代皇帝・康熙帝(在位1661~1722、61年間)。

 ナンバー2が第6代皇帝・乾隆帝(在位1735〜1795、60年間)。

清の第4代皇帝・康熙帝(左)と、第6代乾隆帝

 この二人がいた時代は「康乾盛世」と呼ばれ、人口は飛躍的に増加。国の広さも現代中国よりもずっと大きく、中国史上最大の繁栄の時代とも呼ばれている。

 ……が、お気づきだろうか。「康乾盛世」とは言うが、康熙帝は第「4」代、乾隆帝は第「6」代。そう、この間にはもう一人、忘れられがちな皇帝がいる。

 それこそ、第「5」代皇帝・雍正帝。その治世は父康熙帝や息子乾隆帝と比べれば4分の1以下の、わずか13年。しかしこの13年は、さながら砂時計のくびれ。この13年が無ければ、康熙帝の61年も乾隆帝の60年も、つながりはしない。それどころか、もし雍正帝が「非常事態」に向き合い続けなければ、栄光は砂塵として消ゆるばかりだった。

財政健全化、未来に「借金」残さない

清の第5代皇帝・雍正帝
 雍正帝が向き合った「非常事態」は大きく分けて三つ。そしてそのいずれもが、現代の世界、そして日本にも通じる課題であることに驚く。

 一つめは、「経済」の非常事態。今も昔も、国家のリーダーは、経済に問題が起きた時、未来にツケを、「借金」を回しがち。借金の先送りが国を傾けると分かっていても、先送ってしまう。雍正帝の父康熙帝も、実はそうであった。

 康熙帝は、即位当初は北東の一帯を治めるばかりだった国の面積を一気に中華全土・モンゴル・チベット・台湾まで広げたその豪腕、そして宣教師と数学問答もしたというその知能、そして何より歴代ナンバー1の在位期間。これをもって史上最高の「名君」と長くされてきた。

 しかし近年、歴史学の研究はいびつな現実をあぶりだした。

 康熙帝の61年、宮中に残る帳簿をもとにその総決算をしたところ、赤字500万両(国家歳入の2割前後。現在の日本に照らせば約12兆円)。これは危ない。

 なぜなら18世紀当時のアジアには、既にヨーロッパの列強が次々と進出していたから。その植民地化の手口は戦争ではない。イギリスの東インド会社のように、相手の国の経済を支配し、先立つ物で未来を買い占めていくのがそのやり口だった。いかに強大な大清帝国といえど、それは同じ。列強にとっても中国こそ、最後にして最大の「獲物」であった。

 だが雍正帝は、13年の短い治世で、その危機を脱出させる。

 同じく宮中に残る帳簿の調査によって判明した総決算は、黒字5000万両。父親が61年掛けて残した「ツケ」を13年で返すどころか、大幅なプラスに。雍正帝の息子乾隆帝の時代、満を辞して中国進出を狙うイギリスの外交使節が訪問し、いつものやり口としてまず貿易を希望したが、乾隆帝は「我が国は豊かゆえ貿易不要」と突っぱねた。

イギリスのマカートニー使節団と接見する乾隆帝

 列強の「甘言」にだまされぬ姿勢を可能にしたのは、雍正帝の時代の徹底した財政改革だった。列強は19世紀、あの西太后の時代に再び中国進出を図るが、結局、完全に植民地化されたことは一度も無い。それはまさに雍正帝が砂時計の「くびれ」として借金を先送りしなかったことによるものだった。

 だが彼は一体どうやって財政を立て直したのか?

 それを示すのが、二つめの「非常事態」だ。

地方のゆるみ、「手紙」で締める

 雍正帝が向き合った二つめの非常事態は、「地方政治」のあり方。これもまた、康熙帝が残した大きな「宿題」だった。

 治世61年の間に領土を10倍以上に広げた康熙帝。その領土の隅々を治めるべく置かれたのが巡撫、知府、知県と言った「地方官」たちだが、広げるだけ広げて、中央政府による地方統治の方針は統一されず。地方では勝手に貨幣と作る「私鋳」が横行し、汚職事件が次々発生、それに不満持つ民も増加。ただでさえ民族対立の火種を抱えた大清帝国は、地方官の「ゆるみ」によって瓦解しかねなかった。

 この非常を受け継いだ雍正帝が行なったこと。それは、当の地方官たちと、
「手紙」をやりとりすることだった。

 現在は台北の故宮博物院に所蔵される、雍正帝が地方官とやりとりした手紙。その数、およそ2万通と言う。しかもこれはただの手紙ではない。地方官に、どんな行政を行なっているか、こと細かに報告させ、それに皇帝自らが朱で字を入れたもの。皇帝による「赤ペン先生」だ。

 そしてその中身は……叱咤激励を超えた、罵詈雑言の嵐。

 「粉身砕骨頑張ります」というようなおためごかしの文句を使えば、「やってみろよ(本当に骨まで砕いてみせろ)」と返される。知識の不足を露呈すれば「お前は禽獣以下」と返される。現代で言えばパワハラの権化だが、雍正帝がただ権力をカサにきた存在にとどまらないのはその「細かさ」。彼はとにかく「数字」にこだわった。

 「給料をいただいている者はおよそ100名です」と報告すればその「およそ」に反応し、正確な数字を求める。「人口は1000家族くらいです」と報告すれば税金に直結する人口の端数を伝えないのは「究極の愚か者だ」と返す。

 この皇帝の異常なまでの数字の要求に鍛えられ、地方官たちは目に見える成果をあげていく。税収の元となる人口の細かな把握。堤防や道の整備など必要経費の徹底した洗い直し。ゆるんでいた大清帝国のカネの血流は雍正帝の時代になって格段に明瞭になる。

 雍正帝はこの手紙をすべて回収。そしてなんとそれを公に出版した。これではごまかしが効かない。かくて大清帝国の財政は一気に改善していった。

出版された、雍正帝が地方官とやりとりした手紙の記録

災害、疫病……地方との連携素早く

 この皇帝と地方官の緊張感は、突発的な非常時にも極めて役立った。

 悪辣な盗賊が逃げ出せば、その逃走経路を各地方官と連携して伝え捕縛する。洪水が起きれば、すぐさま国費を送り対応させる。疫病が発生すれば、道に水瓶を設置し、民が手や体を清められるようにする。As soon as possibleな対応は、「トップダウン」とはどうあるべきかを示す。

 手紙しかなかった雍正帝の時代と違い、いまや突発的な緊急事態を迅速に伝える手段はあらゆるものがある。それなのに国内外のリーダーの多くの対応が、雍正帝よりも遥かに遅れて見えるのは、普段からのトップ⇔地方の連携の有無の違いと、トップの決断のスピードの違いゆえ。「指示待ち」してゆるみがちな者たちに常にギリギリの緊張感を持たせ、いざとなれば自ら動けるようにした雍正帝の手腕は、まさにこの非常時の今こそ求められるものではないだろうか。(続く)

  後編は7月24日午前10時に公開します。

Team申公演
『君子無朋~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~
 作:阿部修英、演出:東憲司
 出演:佐々木蔵之介、中村蒼
    奥田達士、石原由宇、河内大和
舞台『君子無朋』で雍正帝を演じる佐々木蔵之介=石川純撮影

【日程】
2021年7月17~25日
 東京芸術劇場シアターウエスト(当日券なし)


仙台
7月28日 電力ホール
(ニイタカPlus:022-380-8251)


金沢
7月31日、8月1日 北國新聞赤羽ホール
キョードー北陸:025-245-5100)


広島
8月3日 JMSアステールプラザ大ホール
(TSSイベント事業局:082-253-1010)


福岡
8月7、8日 柳川市民文化会館
ピクニックチケットセンター:050-3539-8330)


長野
8月11日 長野市芸術館
(キョードー北陸:025-245-5100)


新潟
8月14、15日 りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館
(キョードー北陸:025-245-5100)


京都
8月17~29日 京都府立文化芸術会館
(キョードーインフォメーション:0570-200-888)