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小山田圭吾問題で思う、大谷翔平の81マスと自分を見つめる目

矢部万紀子 コラムニスト

大谷翔平選手のルーツ

 さて突然だが、落語が好きだ。一番のお気に入り柳家喬太郎さんが、まくらで「横浜のアミメニシキヘビ」を語るのを最近2度ほど聞いた。アパートから逃げ出し、16日後にそのアパートの屋根裏で見つかったという例のヘビ。「もう○○の方まで探しに行って、それでも見つからなくて、で、裏を探したらいたって、そういう話でしょ」と会場近くの地名を入れて語っていた。イヤなことばかりの世の中で、久しぶりに楽しい話題でしたよね、と。

 ヘビがつかまったのは5月22日。東京には、3度目の緊急事態宣言が出されていた。そこから一度は「まん延防止等重点措置」に緩められたが、7月12日から緊急事態宣言に逆戻り。4度目だから、人出は減らず感染者は増える。

 そんな世の中にただ一人、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手がいた。アミメニシキヘビからバトンを受け、「明るいニュース」を一手に引き受けてくれている。

 33本&4勝という成績を引っ提げ、日本人選手として初のホームランダービーに出場、翌日のMLBオールスターゲームは「1番打者・先発投手」。日本で放送されたのが13日と14日で、折しも緊急事態2日目と3日目。彼の活躍だけが救いと思った人が、どれほどいたことだろう。

大谷が高校3年の選抜大会後に自作したモチベーション維持のための紙。カレンダーの裏に負けた悔しさ、夏への決意などがびっしりと書かれている拡大大谷翔平選手は「目標達成シート」後も文章を書きとめていた。写真は、高校3年の選抜大会後に記した、負けた悔しさや夏への決意
 そんな中知ったのが、大谷選手の「マンダラチャート」だった。ホームランダービーのタイミングに合わせた12日午前11時、ニュースサイトにアップされた<「ご飯 夜7杯、朝3杯」大谷翔平選手が10年前に書いた、81個の“マンダラの約束”>(プレジデントオンライン)という記事を、少し遅れて読んだのだ。

 書かれていたのは、花巻東高校の佐々木洋監督が1年生部員に作らせる「目標達成シート」の話だった。それはマンダラチャートと呼ばれるもので、筆者の相沢光一さんは「(これがあったから)『大谷翔平は全米で注目される選手になった』ということがわかる」「大谷本人にしてみれば、『すべては計画通り進んでいる』ということかもしれない」と位置付けていた。

 記事のサブタイトルは「プレー中なのにゴミ拾いをするワケ」。グラウンドのゴミを拾い、すっとポケットに入れる映像、折れたバットをそーっとバットボーイに手渡す映像。それらとともに、彼の「礼儀正しく真摯な人柄」がアメリカの野球ファンも魅了している。そう何度も伝えられていた。そのルーツがここにある。そういう記事でもあった。


筆者

矢部万紀子

矢部万紀子(やべ・まきこ) コラムニスト

1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長をつとめた後、退社、フリーランスに。著書に『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)、『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)。最新刊に『雅子さまの笑顔――生きづらさを超えて』(幻冬舎新書)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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