メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

【ヅカナビ】『婆娑羅の玄孫』

この期に及んで「男役・轟悠」に乙女心を撃ち抜かれた話

中本千晶 演劇ジャーナリスト


拡大

 轟悠の退団公演となる『婆娑羅の玄孫』は、まるで、そうとわからぬように作られたサヨナラショーのようだ。主人公の細石蔵之介(さざれいし・くらのすけ)は劇中では「石さん」「石先生」と呼ばれ、役というよりまるで江戸時代に生まれ変わった轟悠そのものだった。

 蔵之介は、室町時代の武将・佐々木道誉の玄孫という設定で、文武に秀で、「婆娑羅大名」と呼ばれた道誉を思い起こさせる若者だ。それなのに何故か、佐々木家から突然の廃嫡を言い渡され、江戸の神田稲荷町「なめくじ長屋」で皆の相談事に乗ったり、寺子屋で子どもたちに教えたりしながら過ごしている。

 1幕は仇討ちもの、2幕は蔵之介廃嫡の秘密が明らかになる話だ。どちらも痛快で、明るい気持ちで楽しめる物語になっている。

 幕開きの登場で「粋な着流し姿がこれほど似合う男役はもう二度と出現しないかも」と思い、目頭が熱くなる。得意の日本舞踊の場面もいくつか盛り込まれ、大詰めには殺陣の見せ場、そしてラストには一転して凛々しい若君姿も披露する。

 それだけなら「日本物の轟さんで見たいエッセンスの詰まった2時間。卒業公演らしい舞台でしたね。以上」である。だがこの作品、それだけでは終わらなかった。

あの一言は轟悠にしか言えない

 当然ながら、蔵之介に密かに想いを寄せる女性も登場する。焼き芋屋のお鈴(音波みのり)である。この、お鈴とのさりげない心の通い合いが、これまた何とも素敵なのだ。

 普段のお鈴は秘めたる想いをおくびにも出さず、元気に焼き芋を売り歩き、蔵之介にあれこれお節介を焼いている。神田祭で一緒に踊るときには、こぼれるような笑顔を見せる。

 そして七夕の夜、二人になったとき、蔵之介はお鈴に聞くのだ。

 「お前は私が好きか?」

 この一言に、胸を撃ち抜かれてしまった。なんという真っ直ぐな物言い。これは轟悠にしか言えない。これほどシンプルな愛の告白が似合うのは、轟さんしかいないだろう。

 これに対するお鈴の返答がまた良いのだ。お鈴も「好きだよ」と素直に答える。でも、自分が好きなのはあくまで細石蔵之介という名の人だけなのだ、と。蔵之介が自分には手が届かない身分の人だということに、お鈴は薄々気付いている。そして、いずれ来る別れも覚悟しているのだ。

 蔵之介の出自が明らかになった大詰め、長屋のみんなが騒いでいる中で、ひとり涙するお鈴の表情が絶品だ。群衆芝居なのにカメラがズームアップしたかの如く引き込まれる。

 お鈴の声だけが流れるラストは異論も出そうだが、私は断じて言いたい。轟悠は「スモークの中での夢々しいデュエット」がタカラヅカで一番似合わない男役である。だから、蔵之介のはかない恋の結末は、あれでいいのだ。

◆公演情報◆
『婆娑羅の玄孫』
2021年7月21日(水)~7月29日(木)  東京芸術劇場プレイハウス
公式ホームページ
[スタッフ]
作・演出:植田紳爾

・・・ログインして読む
(残り:約1733文字/本文:約2938文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

中本千晶

中本千晶(なかもと・ちあき) 演劇ジャーナリスト

山口県出身。東京大学法学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て独立。ミュージカル・2.5次元から古典芸能まで広く目を向け、舞台芸術の「今」をウォッチ。とくに宝塚歌劇に深い関心を寄せ、独自の視点で分析し続けている。主著に『タカラヅカの解剖図館』(エクスナレッジ )、『なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか』『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』(東京堂出版)、『鉄道会社がつくった「タカラヅカ」という奇跡』(ポプラ新書)など。早稲田大学非常勤講師。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

中本千晶の記事

もっと見る