お友達優遇の密室人選では“トンデモ”が入り込む
2021年07月22日
東京オリンピック開会式の作曲陣の一人であった小山田圭吾氏が、学生時代に障がいを持つ同級生等に対して凄惨な暴力をふるっていたと、雑誌のインタビューで自慢げに話していたことが発覚し、大きな問題となっています。
小山田氏は辞任をしたものの、もはや本人が辞任すれば済むという話ではありません。というのも、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は、あろうことか問題発覚後にも、「現在は高い倫理観を持って創作活動するクリエーターと考えている。開会式準備における貢献は大きなもの」(高谷正哲スポークスパーソン)と擁護していたからです。
さらに、一部の報道によると、組織委員会が一度続投の方針を固めたのは、映像チームのトップ級メンバーが「小山田さんを降ろすなら、我々も降りる」と辞任の構えを見せて抵抗し、他のメンバーも後に続いたからだとも言われています。“五輪ムラ”の歪んだ「絆」の強さや、小山田氏が辞任したのに自分たちは居残るというご都合主義には大変驚かされます。これはつまりは組織・チーム自体の問題なのです。
2021年以降、女性蔑視発言の森喜朗前会長や、「渡辺直美をブタ=オリンピッグに」と提案していたクリエーティブディレクターの佐々木宏氏と、関係者の辞任が相次いでおり、一部の関係者は「呪われている」と表現しているようです。ですが、度重なる辞任劇は決してスピリチュアルな理由ではなく、“五輪ムラ”に集う人々の人権意識の欠如や「身内びいき」という明確な理由が存在するのではないでしょうか。
ですが、被害者自身が「もう過去のこととして捉えている」「あんな嫌なことは忘れて今を楽しく生きている」と言うのであればまだ分かりますが、被害者ではない人たちがなぜ勝手にジャッジをするのでしょうか? それは他人の被害を無かったことにする「被害者否定」であり、加害者を間接的に擁護する言説にほかなりません。
そもそもこれは決して「過去の話」ではありません。批判の声を見れば分かるように、「やったことが酷い」「それを雑誌で嬉々として自慢するのはあり得ない」等に加えて、「酷い暴力行為をしたのに考えを改めた形跡がどこにもなく、オリパラという本来平和の祭典とされるイベントで重要な役回りを担っていいのか」という指摘が多数見受けられます。
つまり、「強き者の悪事に対して法的制裁も社会的制裁も十分にされることなく、うやむやで終わり、強者のまま居座り続けて、大きな利益や名誉を得る」という、今なお続く日本社会の構造的歪みを象徴するような出来事だったからこそ、猛烈な批判が巻き起こったのでしょう。
もちろん、何か過ちを犯した人を社会から永久に追放すべきだとは思いません。ですが、再度社会で活躍する条件として、以下3つの具体的な行動が必要になると考えています。これらを復帰の要件としてしっかりと備えた社会が「自浄能力」のある社会なのです(※これらはあくまで加害者側の行動についての要件であり、実際の復帰は被害者側の主張にも当然影響されます)。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください