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「宗派」という矛盾──信じているわけじゃない教えに縛られる理由

[8]制度疲労を起こしている宗派という仕組み

薄井秀夫 (株)寺院デザイン代表取締役

宗派に縛られる日本人

 日本仏教には宗派というものがある。

 多くの日本人は、自分が何宗に属しているかについてあまり興味がないのだが、家族の誰かが亡くなって葬儀をする時になると、急に宗派を意識し始める。

 ただ、「あれっ、うちは何宗だっけ?」と思い出せない人が多いのも現実だ。思い出すことができても、「あれ、うちの宗派は、確か……、○○宗だったよね」と半信半疑の人も多い。

 不思議なのは、ほとんどの人は宗派に対してあまり興味がないにもかかわらず、葬儀をするとなると、宗派の制約を受けざるを得ないということだ。そして宗派は、個人の信仰ではなく、家がどの宗派に属しているかが重視される。

SAND555UG/Shutterstock.com拡大SAND555UG/Shutterstock.com

 仮に、個人の宗派を優先した場合、後々、お墓に入れてもらえない等の不都合が生じる可能性もある。

 例えばこんなケースである。

 ある時、Aさんが亡くなった。Aさんは生前、坐禅に興味を持ったことがきっかけで、曹洞宗のお寺で、仏教について学ぶようになっていた。Aさんは熱心にお寺に通い、そのお寺の住職を尊敬していた。家族は、そのことを知っていたので、そのお寺にお願いして、葬儀を執り行ってもらった。

 数年後、Aさんの奥さんが亡くなり、息子さんが喪主となって葬儀を行うことになったが、今後を考えるとAさんの実家が檀家になっているお寺が何かと便利かと思い、そのお寺に葬儀をお願いすることになった。

 葬儀後、そのお寺でお墓を買おうと相談したら、住職からこんなことを言われたのである。

 「奥さんは浄土宗で葬儀をあげたけど、Aさんは曹洞宗で葬儀をあげたんですね。戒名が違うので、もしうちのお寺にお墓を買っても、奥さんは入れるけれど、Aさんは入れませんよ。お二人いっしょにお墓に入るなら、Aさんの戒名を付け替えなければいけませんね」

 息子さんは困ってしまったが、住職の言うことを聞かないとお墓を買うことができないので、そのお寺でAさんの戒名を付け替えてもらうことにした。もちろん、それなりのお布施は必要である。息子さんは、両親の葬儀を異なる宗派で行ってしまったのは自分の責任だと落ち込んでいたので、それを何とかするためにはしょうがないと思い、戒名の付け替えをお願いしたのである。

 この話を聞いて、皆さんはどう思うだろうか。

 Aさんの息子さんに対して、常識がないと感じる人はいると思う。それとは反対に、戒名を付け替えるように言ってきた住職に対して、「ひどい」と感じる人もいるだろう。

 いったい、どちらが正しいのだろうか。

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筆者

薄井秀夫

薄井秀夫(うすい・ひでお) (株)寺院デザイン代表取締役

1966年生まれ。東北大学文学部卒業(宗教学専攻)。中外日報社、鎌倉新書を経て、2007年、寺の運営コンサルティング会社「寺院デザイン」を設立。著書に『葬祭業界で働く』(共著、ぺりかん社)、 『10年後のお寺をデザインする――寺院仏教のススメ』(鎌倉新書)、『人の集まるお寺のつくり方――檀家の帰属意識をどう高めるか、新しい人々をどう惹きつけるか』(鎌倉新書)など。noteにてマガジン「葬式仏教の研究」を連載中。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです