[8]制度疲労を起こしている宗派という仕組み
2021年07月26日
日本仏教には宗派というものがある。
多くの日本人は、自分が何宗に属しているかについてあまり興味がないのだが、家族の誰かが亡くなって葬儀をする時になると、急に宗派を意識し始める。
ただ、「あれっ、うちは何宗だっけ?」と思い出せない人が多いのも現実だ。思い出すことができても、「あれ、うちの宗派は、確か……、○○宗だったよね」と半信半疑の人も多い。
不思議なのは、ほとんどの人は宗派に対してあまり興味がないにもかかわらず、葬儀をするとなると、宗派の制約を受けざるを得ないということだ。そして宗派は、個人の信仰ではなく、家がどの宗派に属しているかが重視される。
仮に、個人の宗派を優先した場合、後々、お墓に入れてもらえない等の不都合が生じる可能性もある。
例えばこんなケースである。
ある時、Aさんが亡くなった。Aさんは生前、坐禅に興味を持ったことがきっかけで、曹洞宗のお寺で、仏教について学ぶようになっていた。Aさんは熱心にお寺に通い、そのお寺の住職を尊敬していた。家族は、そのことを知っていたので、そのお寺にお願いして、葬儀を執り行ってもらった。
数年後、Aさんの奥さんが亡くなり、息子さんが喪主となって葬儀を行うことになったが、今後を考えるとAさんの実家が檀家になっているお寺が何かと便利かと思い、そのお寺に葬儀をお願いすることになった。
葬儀後、そのお寺でお墓を買おうと相談したら、住職からこんなことを言われたのである。
「奥さんは浄土宗で葬儀をあげたけど、Aさんは曹洞宗で葬儀をあげたんですね。戒名が違うので、もしうちのお寺にお墓を買っても、奥さんは入れるけれど、Aさんは入れませんよ。お二人いっしょにお墓に入るなら、Aさんの戒名を付け替えなければいけませんね」
息子さんは困ってしまったが、住職の言うことを聞かないとお墓を買うことができないので、そのお寺でAさんの戒名を付け替えてもらうことにした。もちろん、それなりのお布施は必要である。息子さんは、両親の葬儀を異なる宗派で行ってしまったのは自分の責任だと落ち込んでいたので、それを何とかするためにはしょうがないと思い、戒名の付け替えをお願いしたのである。
この話を聞いて、皆さんはどう思うだろうか。
Aさんの息子さんに対して、常識がないと感じる人はいると思う。それとは反対に、戒名を付け替えるように言ってきた住職に対して、「ひどい」と感じる人もいるだろう。
いったい、どちらが正しいのだろうか。
こうした齟齬が生まれるようになったのは、宗派というものに対する考え方が、僧侶側と一般生活者側で異なるからである。
そもそも宗派は、なぜ生まれたのだろうか。
その経緯は、日本史の教科書にも出てくるので、歴史好きでなくてもほとんどの人が知っているだろう。日本では、平安、鎌倉といった時代に、それまでの仏教を独自の解釈で発展させた僧侶がいて、そうした僧侶を宗祖として教団が生まれ、後年、組織されていったということだ。
最澄、空海という名前を記憶している人は多いだろう。平安時代に活躍した僧侶で、二人が説いた教えは、それぞれ天台宗、真言宗として発展していった。また法然、親鸞、道元、日蓮という名前も有名である。この4人の僧侶が説いた教えは、その後、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗として発展し、現代まで続いている。
異なる教えが説かれ、それを信じる人が集まって宗派が生まれた。ある意味それは、それぞれ異なる宗教でもある。
ただ、この頃の宗派は、どちらかというとサンガ、つまり同じ教えを信じる僧侶の集団といった傾向が強い。一般信者は余り多くはなかったのである。
一般信者が増えてくるのは、仏教が葬送に携わるようになった室町時代後半である。
全国各地で、死者の葬送のために寺を建立することが流行し、そこには様々な宗派の僧侶が住職として迎えられる。
ただ、そのお寺の宗派を何にするかは、村人にとってさほど大きな問題ではなかった。
当時の記録を見ると、この時代に宗派を変えている寺がかなり多い。宗派を変えた理由についての記録はほとんど残っていないが、村の人が丸ごと信じる教えを変えたとは考えにくい。村人の葬儀をしてくれるなら何宗でもよかったので、結果的に、来てくれた僧侶の宗派に変わったというケースがほとんどだったと思われる。
もともと仏教は、葬送を通して定着したのであるから、宗派の違いというのはあまり意味がなかったのである。
しかし江戸時代になると、どの寺がどの宗派に属するかを幕府が管理するようになり、庶民がどの寺に属しているかも管理するようになると、宗派の違いも厳格化されていく。さらに、幕府の政策により、本山の権限が高まり、本山と末寺のピラミッド構造がつくられていく。その結果、個人にとっても、お寺にとっても、宗派を変えることは困難になっていく。
こうした構造は現代にまで残り、多くの人はさして宗派の教えに興味がないのに、宗派に縛られるようになったのである。
もちろん宗派は、僧侶らにとって大きな意味を持っている。
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