人と作品が結びつき織りなす軌跡
2021年07月31日
初音ミク、技術指向が開いた民族調の扉〜奇跡の3カ月(7)から続く
【読者のみなさまへ】初音ミクとボーカロイドの文化にはきわめて多くの人々がかかわり、その全容は一人の記者に捉え切れるものではありません。記事を読んでお気づきの点やご意見など、コメント欄にお書きいただけると幸いです。一つひとつにお答えすることはかないませんが、コメントとともに成長するシリーズにできたらと願っています。
「作詞ができないので、『う』と『た』のみで(中略)歌わせてみました」
そんな動画説明のついた初音ミクオリジナル曲が、2007年10月30日に投稿された。聴くと本当に初音ミクが「うう〜う〜」「た〜たた〜た、たたた〜」としか歌っていない。題名は「utatata-Trance 01」、何かの型番のようだ。
とはいえ音楽は魅力的だった。大きな注目を浴びたわけではないが、聴いた人々の多くは好意的に反応した。
「カッコイイ!!」
「疾走感が気持ちいいなあ」
「これはいい。すごくいいだろ」
投稿後、数日以内に書き込まれた視聴者コメントだ。
同様に11月3日、「歌詞募集中です…」と書き込まれた1枚絵の動画が投稿された。これまた曲に付けられた歌詞は「ネギ、おネギ」「たたたた、たたった、たたたた、たーたーたー」だけだった。題名は「utatata-Trance 02」。
歌詞がないに等しいこの二つの楽曲が、人と人とを次々結びつけ、いくつもの新たな創作を生む。初音ミク現象を体現するような出来事がここから数年がかりの規模で起きる。それも最初期ならではの素朴な流れから。(今回登場していただく皆さんには全員テキストによる一問一答で取材した。寄せられた回答は筆者の手で要約・編集してある)
「ゲーム音楽が好きで音楽を始めたので、つくる楽曲はほとんどインスト(器楽)曲。自分で歌詞をつけるのはとても難しいことでした」
作曲した「うたたP」さんはいう。最初の投稿楽曲の歌詞が「う」と「た」だったことが名前の由来だ。(この名前のつけ方については文末を参照)
初音ミクの存在を知ったのは、オンラインゲームで遊んでいた友人を通じてだった。当時、うたたPさんはアメリカの大学で音楽を専攻していた。そこに「これ、知ってる?」とその友人から連絡が来た。うたたPさんが音楽制作していることも知っていたからだ。
ボーカロイド製品はすでにMEIKOやKAITOが存在していたが、うたたPさんが「歌うソフト」の存在を知るのは初音ミクが初めてだった。「なんて画期的な」と感激して、さっそく初音ミクを購入した。
最初の「う」と「た」だけの曲も、この友人に聞かせるためにつくった。曲のデータを送ると、その友人が再び、「みんなここに投稿しているから、君もしてみたら?」とニコニコ動画を教えてくれた。
「なので、あれはもともと友人向けのデモソングだったんです」と最初の投稿曲を振り返る。
同様にオリジナル2曲目を投稿、相変わらず歌詞が書けない。ただ、その音楽の質の高さに関心を持った人がいた。
動画を再生していくと、主メロディーが始まる部分から、オレンジ色のコメントが現れる。動画の進行に合わせてコメントできるニコニコ動画の仕組みを利用して、メロディーに乗せる歌詞を投稿していった。
「闇から醒めた
(私は夢だった)
私は歌った
私は世界の
(どこにもいないの)」
やはりオレンジ色のコメントで、「詞題は『不在の女神』」と、曲名も提案される。
うたたPさんが緑色のコメントで答える。
「気に入りました!使わせていただきます!」
途中で、曲のテーマや歌う主体(誰の視点から歌っているのかということ)、聞き手の設定などをめぐる問答もオレンジ色と緑色のコメントでやりとりされる。
ニコニコ動画の画面上を流れるコメントを通じた対話で、歌詞のなかった曲の歌詞が作られていき、一つの歌になっていった。
コメントの色から、作詞者はorangeさんと呼ばれることになる。当時のやりとりについて、orangeさんはこう答える。
「ちゃんとした曲なのに、歌詞が思いつかないからネギだけ入れてアップ(投稿)するなんてことがあるってことにびっくりしました(笑)」
コメント投稿された詞を基に、完成した歌の作品として11月8日に改めて投稿されたのが「初音ミク オリジナル [utatata-Trance 02] -不在の女神-」だ。
うたたPさんとorangeさんのコラボはむしろここからが本番だ。最初の投稿作「utatata-Trance 01」に11月7日、次のようなコメントが書き込まれている。
「夜明けの空を飛ぶイメージで作詞してみようかな? どうでしょう」(3分23秒)
これを書いたのがorangeさんだった。ただし、この「01」の動画上では、詞に関するやりとりはほとんどない。
うたたPさんによれば、動画コメントで自分のメールアドレスを公開して「よろしければ、こちらに連絡してください」と書き添え、それで連絡を取り合った。
メールアドレスなどという個人情報を動画のコメントに?とも思うが、「もともとインディーズ活動用に使用していて、ホームページなどにも記載していたアドレスなので、コメントに書き込むのも特に問題はありませんでした」と、うたたPさんはいう。
そのやりとりの結果、11月18日に「初音ミク オリジナル ストラトスフィア -utatata01 mig29 remix- + α」が投稿される。
とはいえまだ完成とまではいえなかった。さらに手を加え、10分超という大作として投稿したのが、11月27日の「【初音ミク オリジナル】 ストラトスフィア (Long ver.) 【初音Mig】」だ。
冒頭に繰り返される「ラースタチュカ」はツバメを意味するロシア語で、戦闘機ミグ29の愛称として知られているという。
「曲を聞いて浮かんだイメージが、明けつつある空、その夜明けの空を飛んでいく孤独な鳥、といったものでした」とorangeさんはいう。
「自分がもともと持っていたイメージというより、どこかから降りてきたものを巫女のように拾っていく形でした。あとは…」と付け加える。
「ストラトスフィアを母音だけにするとウオアオウイアとなりますが、元のウタタウタタに近いかな、って」
このロングバージョンは予想外の反響を巻き起こす。
楽曲の完成度は大きく上がり、ストラトスフィア(成層圏)を飛翔するツバメ=ミグ戦闘機というorangeさんの世界観も曲想とぴたりと合った。それが、戦闘機ものの映画やアニメ、ゲームなどを愛好する視聴者たちの想像力と遊び心をいたく刺激した。
視聴者たちは、「歌姫を守る操縦士」や「敵機を迎撃する操縦士」などの役割を勝手に担い、役割に沿ったセリフをコメントで次々と投稿し始めた。戦闘機もの映画やアニメの登場人物になり切った形で、見知らぬ視聴者たちがコメントで即興のドラマを繰り広げた。
動画内で《》で囲ったコメントは、そうした“操縦士”や“管制官”たちがやりとりする交信だ。そんな遊びが自然発生するのが、ニコニコ動画という場の特徴でもあった。10分を超す長さも、この「なりきり遊び」にむしろ貢献した。
「衝撃的でした」。視聴者たちのこうした反応について、うたたPさんは振り返る。
「自分のつくった作品に反響をいただくこと自体が直接モチベーションにつながりますし、もっと楽しめる作品を作りたいという気持ちにさせてもらえました。ストーリーコメントは、自分が見ていない角度から作品を捉えてくれていて、自分の作品なのに他の人の作品を見ているような感覚で読んでいました。そこからまたアレンジが浮かぶこともありました」
「う」と「た」だけだった歌、それが作詞未経験だった一視聴者のorangeさんを巻き込み、さらに他の大勢の視聴者が参加する偶発的な楽曲のドラマへと変わっていく。人と作品が織りなす予測不能な連鎖、それが初音ミク黎明期の文化を形成する大きな推進力になる。
当時の状況について、うたたPさんは改めてこう振り返る。
「あのころのニコニコ動画の初音ミクは、皆で『初音ミク大喜利』をしているような状態でしたね。『こんなジャンルで使いました』『こんなカバーをしました』『こんなふうに使いました』と、まるでネタの出し合いのような。私はそこにデジタル音楽で参加したというような感覚です」
orangeさんは、これをきっかけにボーカロイド作品の作詞も手がけるようになり、翌2008年には初音ミクとKAITOの代表的デュエットの一つ「サンドリヨン」(作曲・シグナルPさん)の詞も書いている。
人と作品の連鎖は、まだ終わらない。ここから第2幕が開く。「ストラトスフィア」ロングバージョンに圧倒された作り手がまた一人あらわれた。ライトノベル作家の鳥居羊さん。これが後の注目曲「こちら、幸福安心委員会です。」(2012年)に直接結びつく出逢いとなる。
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