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しおれたアサガオはダメ? 情報の「方向づけ」を考える

便利な「ガイド」が生むストレスとバイアス

天野千尋 映画監督

 特にSNSから入ってくる情報は、誰かの称賛の声だったり、または批判の声だったり、大体どちらかとセットになっている。どのポイントが世間で讃えられているのか、どんな論点で叩かれているのか、情報の「読み方ガイド」がデフォルトでくっ付いているので、自分自身がオリジナルの感想を抱く前にバイアスがかかってしまう。

 もちろん参考になる部分は大いにあるけれど、ニュースをフラットに受け取れず色眼鏡で見てしまうし、物事を自分なりに読み解いて考える機会が、じわじわと失われているような気もしてくる。

 また、称賛の声はともかくとして、批判はいわゆる「悪口」と紙一重だったりする。私は子供の頃から、他人の悪口を聞くことはどうも得意ではなかった。複数人で1人の悪口を共有することの罪悪感や、批判している人のマウンティングの心理が透けて見えること、また「自分もいつか同じように悪く言われるのかもしれない」という不安が胸をソワソワさせた。

不快な「悪口」の厄介な快感

 日々SNSで流れてくる批判≒悪口の対象が、いくら著名人だったり、法を犯した人だったとしても、その不快さは変わらず、見えないストレスとなってジリジリと精神を疲弊させてくる。

 だが反面で、悪口は少なからず快感でもあるから厄介だ。

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