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オリンピック中継で問われたカメラの視点と解説者の言葉の力

ブレた映像の位置、エクストリーム系コメンタリーのスピリット

生島淳 スポーツ・ジャーナリスト

 今回のオリンピック、フリーランスの私はテレビを見ることがそのまま仕事となる。

 試合を見ては、取材経験、過去の戦績などを組み合わせ、ストーリーとして再構築する。「読んでも面白いスポーツ」を提示したい。

 ところが期間中に一度、危機に見舞われた。コロナウイルスのワクチン接種2回目の副反応で、3日ほど、ベッドで横たわっていた(SNSを読む限り、長引いた方だと思う)。寝室にテレビはない。しかし、今大会は携帯、タブレットで見るのに十分なインフラが整っていた。

 同時配信も行っていたNHKプラス、民放のアプリTVer(ティーバー)、そしてgorin.jpでは、マイナー競技の配信まであった。

 数十秒のディレイを我慢すれば、十分にオリンピックを楽しめる環境である。とある競技の関係者が話していた。

 「テレビでは放送してくれませんけど、配信で世界のトッププレーが見られるのは恵まれてますよ」

 若年層は携帯やタブレットのスポーツ視聴にもう慣れている。

Tero VesalainenshutterstockTero Vesalainen/Shutterstock.com

 「今回の東京オリンピックは、家族みんなでスポーツ、いやテレビを観るラストチャンスかもしれない」

 オリンピックが始まる前、とある民放の幹部に聞いた言葉だが、時代はもっと先に進んでしまったかもしれない。

審判員の“目”と同じ位置で

 視聴デバイスが増えても変わらないものがある。

 視点だ。

 中継では制作者の視点を通し、世界の視聴者がオリンピックを見る。

 2004年のアテネ・オリンピックのときには、体操競技の中継を担当した日本の制作チームが、優れた番組を作ったとして表彰を受けた。

 このときの担当者に、体操中継の極意を聞いたことがある。

 「審判員の“目”と同じ位置にカメラを置くことです。これに尽きます」

 審判の目を意識すると、画面も自ずと決まってくるのだという。つまり、視聴者も審査員のひとりになれる。

 だから、演技の途中で他のカメラに切り替えたりはしない。

 視点の安定性が大切だからだ。

 私は、この体操中継の姿勢は、あらゆる真理だと思っている。

 揺るぎない視点が、競技の真理を映し出す。

 そこへ行くと、今回失格だったのがマラソンの中継。

 今回の中継は、どうやら海外の制作チームだったようだ。

 日本のマラソン中継の場合、基本は正面からの絵だ。これで選手の表情が分かる。視聴者は選手たちを見守り続ける。

 ところがオリンピックでは、

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