女性憎悪に焦点が当たるのを避けたい男性権力者たち
2021年08月16日
前回の記事「小田急線「フェミサイド」、女性憎悪は最も差し迫った“テロリズム”だ」では、小田急線で起こった刺傷事件は明らかなフェミサイド(女性であるという理由で行われる男性による殺人)であり、あのような事件を起こす「女性憎悪テロリズム」は、現代社会の治安問題として最も警戒しなければならない「危険思想」の一つだと説きました。
小田急線「フェミサイド」、女性憎悪は最も差し迫った“テロリズム”だ
女性の安全な暮らしが脅かされているわけであり、政治家やマスメディアは当然しっかりとした危機意識を持つべきだと思いますが、残念ながら、そのような政治家やマスメディアはごく少数のように思います。
それどころか、女性憎悪という事件の特徴について言及したマスメディアすら、私が探した限り、あまり発見できませんでした。Googleのニュース検索をすると一目瞭然ですが、「フェミサイド」という言葉もほとんど使われていません。
たとえば、テレビ朝日のニュースでは、フェミサイドという言葉を用いながらも、「小田急刺傷はフェミサイド?“決め付け”に懸念も」というタイトルで、フェミサイドであることを否定する一部のネットユーザーの声を紹介しています。
ですが、他の刺傷事件でこのように報じるでしょうか? 仮に、加害者が「積年の恨みがあり、復讐するために殺した」と動機を供述した刺傷事件があったとして、「○○死傷事件は恨みをはらす目的の殺人?“決め付け”に懸念も」というタイトル付けをするとは思えません。もしそうすれば、「犯人は恨みがあると供述しているのに、なぜ専門家でもない人々が憶測で否定した意見をわざわざ大きく報じるのか」とツッコミが多数入るでしょう。
加害者の供述が嘘ではない限り、フェミサイドであることがほぼ確実であるにもかかわらず、こうして何とか断定を避けようとする態度は、「フェミサイドであることを疑いたい、認めたくない」という意思があるように思えてなりません。
フェミサイドの可能性について言及を避ける著名人も散見されます。たとえば、「警察発表を受けた報道だけで語るのは危うい」という趣旨の発言をする男性コメンテーターがいました。確かに警察は都合のいいことしか発表しないことがあるため、供述についての報道だけでは100%の断言はできません。
ただし今回のケースでは、大学サークルや出会い系アプリで女性に対する恨みを持ったという具体的エピソードも複数報道されています。もしフェミサイドではないのなら、それらの供述と犯行動機の辻褄が合わなくなります。ですので、「警察発表から断定はできないものの、フェミサイドの可能性は高そうだ」と言うのが妥当な判断ではないでしょうか。
それゆえ、今回のケースを「警察発表をそのまま信じてはならない」という事件報道によくある主張で済ませて、フェミサイドの可能性の高さに言及しないのは、とても不自然に感じます。もしかしたら、「女性憎悪に焦点が当てられるのを避けたい」という意図でもあるのでしょうか?
また、同じ番組で別のコメンテーターは、「被害者に男性もいるからフェミサイドとは断定できない」という趣旨の発言をしていました。彼は単に知識が無いだけなのかもしれませんが、被害者の全員が女性であることはフェミサイドの要件ではありません。
「女性であることを理由に、男性が女性を殺害すること」(ダイアナ・ラッセル氏の定義)という事象が犯行の根幹に含まれているのならば、これがフェミサイドに該当します。それゆえ、結果的に止めに入った男性等も被害を受けたケースは、「フェミサイド+通常の殺人」となり、フェミサイドでなくなるわけではありません。
さらに、対馬容疑者が勤務していたパン工場の労働環境が悪かったというデイリー新潮の記事も出ています。ですが、そこで働いている女性の派遣労働者は、「幸せそうな男性を見ると殺したいと思うようになった」という心情を抱いているのでしょうか?
仮に本当に労働環境が過酷であったならば
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