勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家
1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
女性憎悪に焦点が当たるのを避けたい男性権力者たち
フェミサイドの可能性について言及を避ける著名人も散見されます。たとえば、「警察発表を受けた報道だけで語るのは危うい」という趣旨の発言をする男性コメンテーターがいました。確かに警察は都合のいいことしか発表しないことがあるため、供述についての報道だけでは100%の断言はできません。
ただし今回のケースでは、大学サークルや出会い系アプリで女性に対する恨みを持ったという具体的エピソードも複数報道されています。もしフェミサイドではないのなら、それらの供述と犯行動機の辻褄が合わなくなります。ですので、「警察発表から断定はできないものの、フェミサイドの可能性は高そうだ」と言うのが妥当な判断ではないでしょうか。
それゆえ、今回のケースを「警察発表をそのまま信じてはならない」という事件報道によくある主張で済ませて、フェミサイドの可能性の高さに言及しないのは、とても不自然に感じます。もしかしたら、「女性憎悪に焦点が当てられるのを避けたい」という意図でもあるのでしょうか?
また、同じ番組で別のコメンテーターは、「被害者に男性もいるからフェミサイドとは断定できない」という趣旨の発言をしていました。彼は単に知識が無いだけなのかもしれませんが、被害者の全員が女性であることはフェミサイドの要件ではありません。
「女性であることを理由に、男性が女性を殺害すること」(ダイアナ・ラッセル氏の定義)という事象が犯行の根幹に含まれているのならば、これがフェミサイドに該当します。それゆえ、結果的に止めに入った男性等も被害を受けたケースは、「フェミサイド+通常の殺人」となり、フェミサイドでなくなるわけではありません。
さらに、対馬容疑者が勤務していたパン工場の労働環境が悪かったというデイリー新潮の記事も出ています。ですが、そこで働いている女性の派遣労働者は、「幸せそうな男性を見ると殺したいと思うようになった」という心情を抱いているのでしょうか?
仮に本当に労働環境が過酷であったならば
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