メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

教義では説明できないお盆という行事──この世に戻ってきた死者と過ごす

[9]「見えない宗教」としての葬式仏教

薄井秀夫 (株)寺院デザイン代表取締役

仏教ではお盆をどう考えるか

万灯会(まんとうえ)の迎え火=山口県萩市拡大万灯会(まんとうえ)の迎え火=山口県萩市

 お盆は前述の通り、亡くなった家族の霊を自宅に迎え入れ、数日間一緒に過ごし、再びあの世に送る行事である。

 ところが、仏教では、このお盆の位置づけが実に曖昧である。

 盂蘭盆経(うらぼんきょう)というお経があり、そこでは次のような物語が記されている。

 お釈迦さまの弟子である目蓮さんは、神通力、つまり不思議な力を持っていた。その目蓮さんがある時、亡くなった母親を思い出し、どうしているか気になって神通力で探したところ、餓鬼道(地獄のようなところ)に落ちて飢えに苦しんでいる母親を見つけた。目蓮さんは何とか母親を助けたいと思い、神通力で食べ物を送るが、母親が食べようとするとその食べ物がすぐに燃えてしまい、いつまでたっても食べることができなかった。
 目蓮さんは途方に暮れて、お釈迦さまに相談する。するとお釈迦さまは、修行をしている僧侶らにお供えをすれば、その功徳によって母親を救うことができると説く。目蓮さんはお釈迦さまの言葉にしたがい僧侶らに供物を献じたところ、その功徳によって母親が無事食べ物を食べることができ、飢えから救われたのである。

 お盆という行事は、このような物語がもとになって始まったものであり、餓鬼道に落ちた家族を救うため、お供えをするようになったという。

 コロナ禍で今年は中止しているお寺も多いと思うが、例年は、ほとんどのお寺で、お盆法要の儀式が行われている。その法要後の法話で、この話を聞いたことのある人は多いと思う。どこかのお寺の檀家になっている人であれば、これまで一度くらいはこの物語を聞いているはずである。

 ところがこの物語は、どうも聞いていて、据わりの悪さを感じてしまう。まず、この物語を聞いた人は、自分の家族が餓鬼道に落ちていることが前提にされていると感じてしまう。

・・・ログインして読む
(残り:約2020文字/本文:約3365文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

薄井秀夫

薄井秀夫(うすい・ひでお) (株)寺院デザイン代表取締役

1966年生まれ。東北大学文学部卒業(宗教学専攻)。中外日報社、鎌倉新書を経て、2007年、寺の運営コンサルティング会社「寺院デザイン」を設立。著書に『葬祭業界で働く』(共著、ぺりかん社)、 『10年後のお寺をデザインする――寺院仏教のススメ』(鎌倉新書)、『人の集まるお寺のつくり方――檀家の帰属意識をどう高めるか、新しい人々をどう惹きつけるか』(鎌倉新書)など。noteにてマガジン「葬式仏教の研究」を連載中。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです