コロナがいくら阻んでも、やっぱり演劇は「熱」だ
劇団創立40周年、原点は高校時代に観た『熱海殺人事件』
横内謙介 劇作家・演出家・劇団扉座主宰
テレビっ子が受けた『熱海殺人事件』の衝撃

つかこうへい事務所『熱海殺人事件』の舞台(写真は1978年の公演)

つかこうへい(1948~2010)=1978年撮影
そもそもはテレビっ子であった。『巨人の星』やドリフターズで育った世代だ。
それが高校1年生の時に、たまたま先輩に誘われて、つかこうへい事務所の『熱海殺人事件』を観て、たちまち魂を奪われ、以来今まで45年間ずっと演劇の虜でいる。
親に連れられて日比谷の芸術座で『二十四の瞳』という、今思えば、渋い名作を観た経験はあった。樫山文枝さんの大石先生、米倉斉加年さんも出演していて劇団民芸の座組だったと思われる。しかしあれは大人が鑑賞してさめざめと泣くもので、子供が熱狂するものではない。『熱海殺人事件』を体験するまで演劇というものが面白いものだ、などという考えは持ったことがなかった。せいぜいテレビの有名人を生で観る楽しみだ、程度に思っていた。
子供時代を地方都市で育ったせいもあり、とにかくテレビが文化的な価値の基準だったのである。
その時『熱海殺人事件』にはテレビで見たことのある役者は一人も出ていなかった。演劇界ではすでに有名ではあったようだが、三浦洋一も、加藤健一も、平田満も世間的にはまだ知られていない頃だ。作者つかこうへいと言う名も初耳だった。私を誘ってくれた先輩からして、たぶん推理劇だと思う、と紹介していた。
それがテレビよりも、圧倒的に面白いものだった。テレビより面白い物に初めて出会った。
これが高校2年の夏16歳で初めて戯曲を書いて、20歳で小劇団を旗揚げ、以来劇団を40年間主宰して、劇団以外にも戯曲を提供し、演出してきた私の原点である。
今年のオリンピックで、20歳の久保建英君が「ずっとサッカーだけやってきて、こんなに悔しいことはない」とメキシコに負けて泣きじゃくった姿に貰い泣きした。しかし、そんな久保君の倍以上、私は演劇だけをやって生きてきた者だ。
その原点が、こんなことで良いのかと思う。でもそれが事実なので仕方ない。