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コロナがいくら阻んでも、やっぱり演劇は「熱」だ

劇団創立40周年、原点は高校時代に観た『熱海殺人事件』

横内謙介 劇作家・演出家・劇団扉座主宰

あの蜷川さんの原点も……

拡大蜷川幸雄(1935~2016)=1993年撮影
 余談ながら、蜷川幸雄さんの生前、芝居にハマったキッカケは何だったか尋ねたことがある。舞台の明かり合わせの最中、調整待ちしていた時だ。私の書いた脚本を演出して頂いていた。インタビューではないから、蜷川さんも気楽に雑談に応じてくれた。

 「高校の時、山本安英を観たんだよ」

 「もろ新劇じゃないですか?」

 戦前から新劇運動の拠点であった築地小劇場の中心メンバーで、後に『夕鶴』という民話素材の作品で、鶴女の役を千回以上、全国で巡演した名女優である。

拡大山本安英(1902~93)=1985年撮影
 ただ、古臭い芝居を蹴散らして、派手に新境地を拓いて名を成した世界のニナガワの原点として、その女優の名が出て来たのは意外だった。

 「うるせーよ、たまたま見たんだ……その舞台で山本安英が着物がはだけるもの構わずに『私の青春!』と叫んで客席を走り抜けたんだ。そこに興奮した」

 分かる気がした。

 私もつかの舞台で、刑事役なのになぜかタキシードにリーゼント姿の三浦洋一が大音量のチャスコフスキーをBGMとして、バカなセリフを唾を飛ばしつつ絶叫し続ける姿に興奮したのだ。

 その時、俳優たちの肉体の放つ輝きと熱い言葉を、若かった僕たちが全身全霊で受け止めた。

 体裁よく言うとそういうことになる。その点で言えば、時代は違うし、スタイルも違うし、もっと言えば、つかこうへいと蜷川幸雄は、険悪な仲となり相容れることはなかったから、こんなところでその名が重なるのも変な話なのだけれども、かの蜷川幸雄も私も、演劇が発した生々しいパワーに胸を射抜かれ、導かれて劇場に生きる人となったのだ。

 芝居にハマッた人はきっと皆、そうだ。

 目の前の舞台と言うリアルな場所に、生きた人間が立ち、むき出しの感情を表して、観客の感性と感覚を揺さぶり、虚構を、その刹那、現実以上の真実に変えてしまう行為。

 生々しい肉体を持つ俳優と、今を生きて劇場に集う人々が、つかの間、空間と時間を共有して、人生の一部を重ね合う営み。そしてつかの間を永遠として感じる。オンデマンドの配信では成り立たぬ、一期一会の出会い。

 肉体や言葉がデジタルの記号に変換される配信が、ライブの興奮を超えることは、容易ではないだろう。少なくとも私は、そこに血道を上げることは諦めて、その分野の開拓は後進に譲ろうと思う。

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筆者

横内謙介

横内謙介(よこうち・けんすけ) 劇作家・演出家・劇団扉座主宰

1961年生まれ。早稲田大学在学中の82年に神奈川県内の高校演劇部OBを中心に劇団善人会議(現・扉座)を旗揚げ。劇団活動のほか、『八犬伝』『オグリ』などのスーパー歌舞伎、ミュージカル、大劇場演劇など多彩な戯曲を手掛けている。92年『愚者には見えないラマンチャの王様の裸』で岸田國士戯曲賞、99年『新・三国志』で優れた新作歌舞伎の脚本に贈られる大谷賞を受賞。近作に21年6月歌舞伎座『日蓮』(構成・脚本・演出)など。厚木市文化振興財団の芸術監督も務める。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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