女性が男を、男性が女を演じて見えた世界
2021年08月21日
妊娠と出産をめぐる演劇『丘の上、ねむのき産婦人科』を作・演出した谷賢一さんの論考の後編です(前編はこちら)。今回は女性と男性が「役」を入れ替えて演じることを通じての「発見」を中心につづります。
台本を書く際にも現実の声に耳を傾け様々な視点に立つよう努力したつもりだが、さらに「異なる性/生を想像する」ため上演時には一つの趣向を凝らした。
7組のカップルの話がメインになるので、男女入れ替えの際には自分の相手役を演じることにした。つまりある場面で妻役を演じていた女性の俳優が、男女入れ替えバージョンでは夫役を演じる。もともと相手役だった人物を演じ、自分がやっていた人物が相手役になるわけだ。
もともとの相手役を演じるのはランダムに入れ替えるよりも発見が多いだろうと思ったし、同じ場面を一緒に何度も稽古しているのだから理解が早く稽古もスムーズだろうと考えた。
しかし実際に男女を入れ替えて稽古してみると、恐ろしく複雑な視点と認識の話が見えてきた。
台詞は入っているし動きも段取りもわかっている、演出やきっかけも把握済み。しかし全く違う。全く違うものを演じているように見える。
あるカップルではこんなことが起こった。
男女入れ替えてみると、男役は妙にチャラチャラと軽薄に、いわば無責任に演じられ、女役は妙に感情的・ヒステリック・情緒不安定に演じられた。目の前で相手役の演技をずっと見ていたはずなのに何故こんなに違う?
最初は理解不能だったが、すぐその理由に行き着いた。この二人の俳優は男女入れ替えた際に、もともとの自分の役の目に見えていた相手役をコピーしていたのだ。つまり女性の俳優には男性がチャラチャラ軽薄・無責任に見えていたからそう演じたし、男性の俳優には女性が感情的・ヒステリック・情緒不安定に見えていた。だから、そう演じた。
このことは演劇的に言っても人間的に言っても大きな発見だった。
演劇的に言えば、俳優は客観的な視点を持ち得ないということが言える。常に演じている役の視点から世界を見ている、演じるとはそういうものだと言うことができる(極めて高度な例外はあるが、この場合それは考えに入れない)。
人間的に言えば、どれだけ近くで見ていて相手のことを大事に思っていても、いや近くで見ていて相手が自分にとって重大な存在であるからこそ、相手の欠点や短所が強調して見えている。本心は伝わらない。本心では男性の役は決意や使命感を感じていたのだが女性にはチャラチャラ見えていたし、女性の役は冷静で思慮深いところさえあったのだが男性には感情的でヒステリックに見えていた。
このすれ違いが現実でも起きているのだと思うとぞっとする。いや、台本も演出もなく生きている我々の現実では、もっと酷い誤解や無理解がまかり通っているかもしれない。
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