有澤知世(ありさわ・ともよ) 神戸大学人文学研究科助教
日本文学研究者。山東京伝の営為を手掛りに近世文学を研究。同志社大学、大阪大学大学院、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2017年1から21年まで国文学研究資料館特任助教。「古典インタプリタ」として文学研究と社会との架け橋になる活動をした。博士(文学)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
過去を知り、いまを考える、「日記」というアーカイブ
東京オリンピックは、新型コロナウイルスの感染が広がる中で開催された。緊急事態宣言の中での祭典という矛盾を抱えたこの五輪は、社会に分断と不安、不信を生んだ。開催の判断や実施方法などの意思決定がどうなされたのか、これから、事実に基づいて検証されなければならない。
その根拠となるのは、様々な「記録」だ。
例えば、私たちは週刊文春の報道で、五輪の開・閉会式に様々な問題があったことを知った。記事は、何度も書き換えられた台本などの「記録」に基づいて書かれたものだ。「記録」は、物事の経緯と責任の所在を明らかにする。それによって、問題点は可視化され、社会に考える材料を突き付ける。
いま改めて、「記録」の重要性を共有し、その公開の在り方や、読み解き方を考えなければならないと実感する。
「記録」を残すとは、未来の人々にこの時代を振り返る材料を提供することだ。私たちが、現在起きていることを正確に書き残し、きちんと検証しておけば、子孫たちは、それを参照しながら、より良き道を探ることができる。それをしないのは、子孫たちへの責任を放棄することである。
古典籍には「日記」が多く残されている。今回は様々な日記から、記録の重要性を考えてみたい。
私は幼いころ、日記をつけていた。通っていた塾で、文字の練習として課されたのが習慣になったのだと思う。毎日起こったことや考えたことを10年以上にわたって書きつづった。公開されることはない、自分自身の記録だ。
いま「日記」というと、多くの人はこうしたプライベートなものを思い浮かべるだろう。だが、歴史をさかのぼると、日記には、子孫に参照させるための公的性格が強かった。
平安時代の歌人・紀貫之(きのつらゆき)(?~天慶8年〈945〉)が女性になったつもりで書いたとされる『土佐日記』(承平5 年〈935〉頃成立か)の冒頭に「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」とあることでもわかるように、当時日記といえば男性貴族のものであった。
貴族とは政治家であり、行政官である。公的な仕事の手順や作法は整えられ儀式化されており、それらを正しく行うことが重要だった。先例をよく知っていて、典拠に基づく判断のできる者が有能であるとされた。したがって、儀式の在り方や決定事項とその根拠を記し、子孫に先例を正しく伝えることが必要であった。それは同時に、イレギュラーな事態への備えにもなった。
日記に日々の事柄を記すこと、父祖の日記を読んで先例を知ることは、貴族の仕事にとって必要だったのである。