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必見! 濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(下)──危ういリハーサル場面

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 前稿ではおもに『ドライブ・マイ・カー』の物語構成、人物設定、主要モチーフなどを論じた。今回は本作の「パート2」(便宜的にこう呼ぶ。前稿参照)でえんえん展開される『ワーニャ伯父さん』のリハーサル場面を中心に述べるが、その長いシーンの一連は、役者たちに、最初は感情やニュアンスを抜いた棒読みで脚本を読ませ、その後、徐々に抑揚を加えさせ、また役者間の相互触発を生起させていくという、いわゆる<濱口竜介メソッド>そのものの場面化である。

 この、フランスの巨匠ジャン・ルノワール監督の「イタリア式本読み」に倣(なら)ったという演技設計、ないし役作りのメソッドは、役者が、誇張された大芝居で感情を表す心理主義的演技を避け、真に訴求力/リアリティのある演技を獲得するための手法だ(これは『ハッピーアワー』(2015)や『寝ても覚めても』(2018)でも用いられたメソッドだが、前述のように、音(おと)/霧島れいかの死のシーンでも家福/西島秀俊は芝居がかった深刻な演技をしない)。

『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督) ©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 8/20(金)より東京・TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督) ©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 8/20(金)より東京・TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

 また、濱口自身が言うように、『ドライブ・マイ・カー』で本読み〔濱口メソッド〕を物語に取り入れたのは、「こういうことを実際にやりますよ」とスタッフやキャスト、プロダクションに周知させる狙いもあったという。さらに濱口は、リハーサルに時間を十分に取れない映画業界の現状を改善すべく、本読みのリハーサルは必要なものだということを業界にアピールする狙いもあった、という(対談:濱口竜介×野崎歓「異界へと誘う、声と沈黙」、『文学界』2021年9月号所収、文藝春秋)。

 ただし濱口以外の監督に、時間とコストを要するこのメソッドが馴染むかどうかは疑問だ(商業映画では、役者やスタッフの拘束時間が長くなれば、それだけ人件費は加算される)。またこの手法についてどれほど詳しく説明されようと、それが役者たちの演技に具体的にどう作用しているのかを、<結果としての>映画を観る私たち観客は、ほとんど何も知りえない点にも注意が必要だ。

大がかりに展開される映画内演劇のリハーサル

©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 いずれにせよ、『ドライブ・マイ・カー』では、濱口映画が完成されるまでのプロセスそのものが、『ワーニャ伯父さん』のリハーサル場面として──映画と演劇という相違を超えて──映画本体のなかに組み込まれているのだ(ややこしい言い方になるが、その本読みを含むリハーサル場面はむろんフィクションであり、本作のリハーサルとは別物──擬似物ではあれ──であり、作中のリハーサルで稽古をする役者たちは、<演じることを演じる>という二重の演技をするわけだ。これはむろん、本作に限らず、映画内演劇を題材にした澤井信一郎監督の『Wの悲劇』(1984、傑作)、アルフレッド・ヒッチコック監督の『舞台恐怖症』(1950、傑作)、エルンスト・ルビッチ監督の『生きるべきか死ぬべきか』(1942、傑作)、などなどに共通するモチーフである)。

 ともかく、そうした点において、『ドライブ・マイ・カー』はきわめて意欲的な“演技/演出論映画”でもある(アーティストの瀬尾夏美は本作を、端的に「“演じること”についての映画だ」と述べる<「聞くこと、演じること」、前掲『文学界』所収>)。

©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 そして、家福の演出する『ワーニャ伯父さん』が、さまざまな国籍の役者たちが多言語で演じる芝居である以上、そのリハーサルにおいては、家福と役者たちの間の、また役者間の相互触発、支え合い、葛藤、ディスコミュニケーション(齟齬)が生じる。つまりそこでは、相手の言葉に耳を傾けること・それに反応(共振あるいは反発)することを、“今この瞬間に生起する事件”として生け捕りにするという、濱口が映画制作の現場でこだわり続けているモチーフが、映画内演劇のリハーサルとして、かつてないほど大がかりに展開されるのだ(むろん、前述の家福とみさき/三浦透子の“相互カウンセリング”も、少しずつ言葉を交わしあうことが共振=相互触発=“化学反応”にいたるという、すぐれて濱口的なシーンである)。

©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会みさき(三浦透子) ©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

カウンセラー的な役割も果たす妻の不倫相手

 本作のもう一人のキーパーソン、オーディションで家福の目にとまり、みごとワーニャ役を射止める青年・高槻/岡田将生にも触れておこう。

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