すでに報じられているように、2021年8月14日、ジャニーズ事務所の藤島メリー泰子名誉会長が亡くなった。少なからぬひとにとっては、メリー喜多川と言ったほうが耳になじみがあるかもしれない。藤島メリーは2019年に亡くなったジャニー喜多川の実姉であり、これで1960年代の創業以来ジャニーズ事務所を支えてきたきょうだい2人が、ともにこの世を去るかたちになった。
弟のジャニー喜多川がタレントの発掘・育成からステージの演出までタレントプロデュース全般の責任者であったとすれば、藤島メリーは、マネジメント業務や経営面の責任者であった。そうした明確な役割分担のなかで、苦境のときもなかったわけではないが、ジャニーズは「帝国」とまで呼ばれるほどの一大勢力を築くに至った。
ただ、事務所の草創期には、藤島メリーも、タレントプロデュースの一端を担っていたようだ。たとえば、衣装がそうだ。初代ジャニーズやフォーリーブス、たのきんトリオらが身にまとったいかにもアイドルらしい華やかな衣装は、藤島メリーが発案し、当初は手作りもしたものだったという(『スポーツニッポン』2021年8月18日付記事)。そうした衣装には早着替えの工夫も凝らされ、「歌って踊る」というジャニーズの本質的魅力、日本の歌手にそれまでになかった斬新な魅力を引き立たせる不可欠な要素となった。

藤島メリー泰子さん自ら衣装を手がけた初代ジャニーズ=1965年
それと連動するかたちで、各メンバーに担当カラーを割り当てるメンバーカラーのシステムも藤島メリーが導入したとされる(同記事)。それは、グループという集団のなかでメンバーの個性を表現する効果的な仕掛けになった。そのアイデアが卓抜であったことは、いまではジャニーズだけでなく、アイドルグループ全般にメンバーカラーの仕組みが浸透している事実からも明らかだろう。