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教職員は徒歩通勤で子どもを守れ──公園までの行き来、熱中症、性犯罪

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

 歩道も路側帯もない「通学路」でトラックが小学生の列につっこみ、2人が死亡し、1人が重体、2人が重傷となった「八街事件」に関連して、学校教職員が歩いて通勤すれば通学路の危険性を身をもって理解できると、先に論じた。

 だが教職員が歩いて通勤することで得られる利点は、他にもおよぶ。以下、4点について記す。

生徒の異なる面を知る

 私が小学生の頃は、教員は生徒といっしょに歩いて通勤したものである。自宅から、もよりの駅やバス停等から。その時期の光景を今でも思い出すが、教員の、学校では見られない別な顔を見て意外に思い、あるいはふだん渋面しか見せない教員に親しみを覚えたりした経験がある。

 教員にとっても同じだったと想像される。学校では、生徒は好むと好まざるとにかかわらず、四角四面になりがちである。小中学生にとって教師は権威者であり、それだけに怖い存在だが、それは教室にあって顕著であろう。登下校時にもその側面は残るだろうが、それでも開放的な校外を、おしゃべりしながら、時にため口をききつついっしょに歩く時、子どもは教師に、多かれ少なかれ教室にいる時とは違った表情を見せるだろう。

 教員が子どもの多様な姿を見ることは重要である。けれども車に乗って通勤したのでは、登下校時の子どもの様子を、閉じられた異質の空間から一瞬目にするだけである。それで何がわかるのだろう。

 おまけに、いたるところを車が疾駆する今日の異様な状況下では、教員といえども、自ら子どもの命を脅かす側に立ちつつ、しかし命を大事にするよう子どもを叱りつけるという矛盾した行動をとるのがオチであろう。実際私は、小学校の教員が、じゃれあいながら下校する子どもたちの群れに車に乗って近より、「ふざけながら道を歩いたら危ないよ!」と注意する場面に出会ったことがある。

 だがこの教員がせめて歩いていれば、子どもたちの眼線に立って事態を見、子どもたちを叱りつけることなく教えさとすことができたはずなのだが。

RosnaniMusa/Shutterstock.comRosnaniMusa/Shutterstock.com

遊び場・公園の問題とそこまでの道の危険性を知る

 「八街事件」とも関連することだが、歩いて通勤すれば、子どもの遊び場について教員としての認識を深めることもできる。

 子どもにとって遊び場は、かつていたるところにあった。私は埼玉県の小さな町で生まれ育ったが、私が子どもの頃、周囲には空き地がたくさんあり、そこでよく遊んだものである。だがこの小さな町も例にもれず、空き地の多くは、車の大衆化(モータリゼーション)を通じて駐車場に化けてしまい、子どもたちから劇的に奪われた。

駐車場になった空き地駐車場になった空き地=筆者提供

 道もまた子どものよい遊び場だったが、これも奪われつくした(「子どもの貴重な遊び場「道」の喪失」)。今日では、幹線・準幹線道路はもちろん、それ以外の生活道路・小路でさえひんぱんに車が通るために、親は子どもを遊ばせることができない。八街では、考えられるかぎり最も安全と思われる、袋小路になった道においてさえ、幼児が車に命を奪われたのである(「「八街事件」は今後も起こる。運転者のミスは偶然ではなく必然である」)。

 こうして、私がごく幼かった1955年から1990年にかけて、子どもの遊び場(空き地・道)は、全国平均で20分の1に、大都市圏では実に40分の1に激減したのである(仙田満『子どもとあそび──環境建築家の眼』岩波新書、174頁)。今日ではこの傾向は、さらに強まっているだろう。

 今年は、子どもの「遊ぶ権利」を保障せんとした「児童憲章」が採択されてから70年目にあたるが(「子どもの「遊ぶ権利」が忘れられている」)、今日の異様な状況は、「児童憲章」があろうと何ら問題にされていないのが現実である。

 では、この現実を生み、またこの現実について共同で黙秘しつづける大人たちは、どのように対応したか。大人は子どもに「児童公園」をあてがうことにしたのである。だが管理された空間は、子どもが遊びを通して自らの創造性や主体性を発揮させるためには、しばしば非常に不向きである。

 それ以上に問題なのは、児童公園

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