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教職員は徒歩通勤で子どもを守れ──公園までの行き来、熱中症、性犯罪

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

遊び場・公園の問題とそこまでの道の危険性を知る

 「八街事件」とも関連することだが、歩いて通勤すれば、子どもの遊び場について教員としての認識を深めることもできる。

 子どもにとって遊び場は、かつていたるところにあった。私は埼玉県の小さな町で生まれ育ったが、私が子どもの頃、周囲には空き地がたくさんあり、そこでよく遊んだものである。だがこの小さな町も例にもれず、空き地の多くは、車の大衆化(モータリゼーション)を通じて駐車場に化けてしまい、子どもたちから劇的に奪われた。

駐車場になった空き地拡大駐車場になった空き地=筆者提供

 道もまた子どものよい遊び場だったが、これも奪われつくした(「子どもの貴重な遊び場「道」の喪失」)。今日では、幹線・準幹線道路はもちろん、それ以外の生活道路・小路でさえひんぱんに車が通るために、親は子どもを遊ばせることができない。八街では、考えられるかぎり最も安全と思われる、袋小路になった道においてさえ、幼児が車に命を奪われたのである(「「八街事件」は今後も起こる。運転者のミスは偶然ではなく必然である」)。

 こうして、私がごく幼かった1955年から1990年にかけて、子どもの遊び場(空き地・道)は、全国平均で20分の1に、大都市圏では実に40分の1に激減したのである(仙田満『子どもとあそび──環境建築家の眼』岩波新書、174頁)。今日ではこの傾向は、さらに強まっているだろう。

 今年は、子どもの「遊ぶ権利」を保障せんとした「児童憲章」が採択されてから70年目にあたるが(「子どもの「遊ぶ権利」が忘れられている」)、今日の異様な状況は、「児童憲章」があろうと何ら問題にされていないのが現実である。

 では、この現実を生み、またこの現実について共同で黙秘しつづける大人たちは、どのように対応したか。大人は子どもに「児童公園」をあてがうことにしたのである。だが管理された空間は、子どもが遊びを通して自らの創造性や主体性を発揮させるためには、しばしば非常に不向きである。

 それ以上に問題なのは、児童公園

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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